かけ算の文章問題の形を「時間」を切り口に考える

かけ算の文章問題をいくつかながめてみて、
あるいは自分でつくってみて思ったのだけれど、
算数の文章問題には
「過去形」と「未来形または可能形」
があるような気がした。


ここでいう「過去形」というのは、もうすんだ話。
「未来形または可能形」というのは、
いまからやろうとしていること、
もし、これを実行したらどうなるかという仮定の話、という意味。

たとえば、前回、話題に出したドリルの問題

「1日に計算ドリルを4ページやります。
 6日間では何ページできますか。」

は、最初

「1日に計算ドリルを4ページやります。
 6日間では何ページやりましたか。」

としていたのだが、
1行目が未来形なのに2行目が過去形だとなんだかヘンな気がして、
2行目を可能形にかえてみたのだ。

学校のプリントのボートの問題

「6人のりの ボートが あります。
 4そうの ボートに 何人 のれるでしょう。」

も、可能形をしている。

また、図も示すかけ算のプリントにおいて、
みかんを4個ずつお皿に入れて6人に配るようすを書いたけれど
(考えてみれば、みかんをお皿で配ることってあんまりないか…)
「1人に4個ずつ6人に配ってね」
というのは未来形だ。あるいは命令形!?

だから、先に6枚のお皿を用意して、
そこに4個ずつのみかんを入れた場合、
6×4 でもいいような気がしてきたのだった。

しかし、

「みかんを1人に4個ずつ6人に配りました。
 みかんは全部で何個ありますか?」

と過去形になると、とたんに 4×6 のイメージになる。
もちろん一般的にそうなるという話ではなく、私の場合。

TETRA'S MATH>問題の「個別性」とタイル図と構造において、
次のようなことを書いた。

 (1あたりの量)を「1つの容器にのっている量」で捉えるという
 考え方でいけば、4×6 のほうが妥当だと思う。
 なぜなら、遠山啓のトランプ方式では、
 全部配り終わったときに、「何回」は容器として見えないから。

トランプ方式というのは、6人の子どもに4個のみかんをくばるときに、
6人に1個ずつ配ることを1回と考えて、それを4回くりかえすから、
(1あたり量)は6、(いくつ分)は4となり、6×4という考え方だ。

しかし、この配り方の図を6個の丸と4つのお皿で描くことは
あまりにも無理がある気がする。
“リアル”に描いたら、
やはり6つのお皿に4個ずつのみかんになるのではなかろうか。

これまで私は、かけ算の文章問題を考えるときに、
いつも配り終わった状態――過去形――のことを思い描いていた。
問題の設定が絵や図で示されているときも、
すでに同じ数ずつ配り終わっているので、
そこから(1あたりの量)と(いくつ分)を見つけて、
(1あたりの量)×(いくつ分)という式を書かせるのは、
私にとっては違和感がなかった。

しかし、娘が文章問題から自分で図を起こして考えるのを見たとき、
どんな問題でも、それを解こうとしている人にとっては未来形であり、
可能形なのではなかろうか、と思った。

(1あたりの量)を丸で示し、(いくつ分)をお皿で示すと、
箱も袋も串もボートも人も1日もシールもお皿になり、
みかんやキャラメルやお団子、
人や回や値段でさえ丸で表現することになる。

人数や回数はときとしてお皿の数になり、ときとして丸の数になる。

そして、かけ算で交換法則が成り立つということは、
どんな問題でも(多少無理をすれば)
「1あたりの量」と「いくつ分」は入れ替え可能ということであり、
お皿と丸はどんな問題においても交換できるということになる。

問題を図で表すということは、なんて抽象的な作業なんだろう。

 

 2009.12.25 Friday 09:03 「かけ算の順序」問題 permalink