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芦田宏直「キャリア教育の諸問題について」(3)/専門的な知識とは商品知識ではないということ
『努力する人間になってはいけない―学校と仕事と社会の新人論』
( 芦田宏直著/ロゼッタストーン/2013年)の

「第8章 キャリア教育の諸問題について
     ------学校教育におけるキャリア教育とは何か
        (ハイパー・メリトクラシー教育批判)」

を読んでいる。

第8章についてはこれで一区切り。



芦田さんは、
かつて専門学校の校長をなさっていたこともあり、
いまも別の専門学校の顧問を務めておられるようなので、
この本には専門学校の話もよく出てくる。

そのなかでなるほどなぁと思ったのが
靴のデザインの話だった。

芦田さんが、工芸学科を持つ専門学校の科長と
話をする機会があったときに
特に靴のデザイン、カバンのデザインを行う
コースの実習を見学させてもらったそうなのだが、
そのときに「大学に負けるところはどこですか」と聞いたら、
専門学校では「運動靴のデザインができない」と
お話しされたのだそう。(p.261)

なぜかというと、
足の生理学についての授業が
専門学校では無理だから。

100メートルをコンマ何秒の単位で
速く走らなければいけないときの靴の造形は、
造形の主観的な美だけでは済まない「知識」を要求される。

同じように、「メイクや肌の手入れ」
「動物に関する幅広い知識」
「食事や入浴などの介護技術」も
心理的な(顧客の)満足や
コミュニケーション能力に解消されない
「知識」(の質)を要求されている、と。

実際、調理分野と理美容分野の専門学校留学生は
卒業後日本国内で就職ができないのだそう。

どちらも資格職ではあるけれど、
入管的には「技能」職、
つまり体系だった知識の不必要な「経験」職と見なされ、
「技術」職とは見なされていないのだとか。

ほんでもって、生活ブログのほうで
自分が卒業した大学の現在のシラバスを確認したら
コミュニケーション祭りで驚いた話を書いたが、
専門学校でも「コミュニケーション能力」育成という
テーマが流行っているらしい。

なんでも厚生労働省が2004年に11,255社に対して実施した、
企業が若年者に求めている就職基礎能力調査の結果を見ても、
(回収率は13.1%だそう、約1470社ですね)
高校卒業レベル、大学卒業レベルどちらでも
「コミュニケーション能力」を上げた企業は
85%を超えており、トップの要求をなしているそう。

この調査結果が、
「YES-プログラム」(若年者就職基礎能力支援事業)
http://www.mhlw.go.jp/general/seido/syokunou/yes/01.html
に結実したということらしい。

ちなみにH21年度に終了したもよう。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/nouryoku/yes/

その中身をのぞいて思いました私。

これはやはり、あの部分をもう一度引用しておかねばなるまい、と。↓
 この種の〈力(ルビ:りょく)〉能力の特性の一つ一つは、学校教育(=若者)に特有な課題ではないということだ。「若年者」を離れれば、大概の大人は「コミュニケーション能力」を身につけているというのか。そんなことはあり得ない。世の中の組織の会議(民間であれ、官庁であれ)で、まともな議事が進行する会議がいくつあるというのか。ほとんどの場合は、「コミュニケーション」不全状態でしかない。大人の自分たちでさえコントロールできない「コミュニケーション」を、なぜ「若年者」に特有な課題(あるいは学校教育に特有な課題)であるようにでっちあげるのか。私にはそのセンスがわからない。その場合にでも、そもそも現場(=社会人の現場)にその種のコミュニケーション能力が不足しているのは、学校教育におけるコミュニケーション能力育成の不在にあるとでも言うのだろうか。
(p.257〜258)

何度も言うけど、まったくだ。

話かわりますけど、
西條剛央『構造構成主義とは何か−次世代人間科学の原理−』
(北大路書房/2005年)
を手にしたばかりの私の第一印象は、
「研究者の世界ってめんどくせぇ、つきあいきれん」
というものだった。
(その後、印象が大きく変わりました。
 というか、だからこそ!と思いました。)

現場のコミュニケーション能力不足は、
学校教育のせいにしないで
現場で解決していただきたいものだ。

とにもかくにも、
このような〈力〉(りょく)ばやりは、
厚労省に限ったことではなく、
2003年の「人間力」(内閣府)、
2006年の「社会人基礎力」(経産省)、
2007年の「学士力」(文科省)と、
他省も〈力〉(りょく)のオンパレード。

  ひょっとすると文科省の「生きる力」も
  「いきるりょく」だったのか!?(^m^)

芦田さんは、このような〈力〉教育の
反対語は何だろうと考えたとき、
それは「専門教育」に他ならない、と言う。

たとえば生活ブログのほうで、
トヨタは車好きを採用したがらない話を書いたが(>)、
車に関連させていうならば、
車のことについてよく知っている人が、
必ずしも車をよく売るとは限らない。

また、車の営業マンが車を「知る」ということは、
車のメーカーや整備士が車を「知る」ということとは
まったく別の意味でのこと。

専門的な知識とは商品知識のことではなく、
接遇の″技術”を会得するようにして
獲得できるものではない。

営業に〈知識〉が必要である度合いは、
人間性(=人柄)が重要、
話し上手であることが必要という度合いと
ほとんど変わらない。
その意味で営業にとって、
〈知識〉は単なる道具にすぎない。

しかし、「メイクや肌の手入れ」
「動物に関する幅広い知識」
「食事や入浴などの介護技術」
にとっての知識は
人間性と代替される道具ではない。

それらは、「専門的な知識」がないと
対象に関われない領域を有している。
知識は相対的な道具ではなくて
対象そのものに関わっている。

「肌」「動物」「生体」などについての
科学的な(=反経験的な)知識なしには、
それらと関わることは困難。

このような知識は、
人柄がいい、笑顔がいい、マナーがいい、
話がうまい、説得力がある
などということとはまったく独立に
獲得されなければ得られない質が存在している。

とにもかくにもキャリア教育は
「○○力」で示されるような
〈力〉(りょく)教育の掃きだめになっている、
と芦田さんは指摘する。

具体的な人材教育に定位している専門学校で
そのような〈力〉教育が必要だとされるのは、
大学教育とは別の意味で
専門教育ができないということを
露呈しているだけだ、と。

それは、専門学校が担う「専門性」が
カリキュラムにおいても教材開発においても
教員の質においても貧困だということ。

〈高等教育〉に耐える職業教育の道のりは
まだまだ遠いと言わざるを得ない、
と芦田さんは第8章をしめくくっておられる。


  さて。

  娘。

  どうするよ・・・


というわけで、この本の第8章についてはここで一区切りです。

トークセッションの感想は、
たぶん数学教育ブログのほうで書きます。
 2014.06.10 Tuesday 12:49 キャリア教育の諸問題について permalink