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何もない春
いまから8〜9年前、2年間ほど、
雪の降る地域で暮らしていた。

2年目は、地元の人もびっくりの
雪の量だったらしい。

南九州生まれの私は、
基本的に雪ときくとテンションがあがり、
雪かきも嫌いじゃなかったけれど、
さすがに2年目の後半になると、
「毎日、毎日、よく降るなぁ〜」
と半ばあきれていた。

だれに、何にたいして
あきれていたかはよくわからないけれど。

そんなこんなで、
先日の積雪は懐かしかった。

がしかし、毎日降るのと、
たまにどかっと降るのとでは
勝手が違う。

毎日降れば日常だが、
たまに降るのは非日常。

雪道用の靴も今は持っていないし、
身体も慣れていない。

結果、近所の買い物に行くだけで
疲れてしまう。

でも、2日めは、
みなさんがちゃんと雪かきをしてくれて、
通路に雪が少なかったこともあり、
雪道を歩きながら、
8年前のことを思い出す余裕があった。

当時は集合住宅に住んでいて、
出入り口は建物の北側にあったと思う。

したがって、積もった雪が
なかなか溶けない。

そのうち氷の板になる。

かなりの面積にわたって。

で、南国育ちの私は、
せっせせっせと、その氷の板をなくすべく、
雪かきならぬ氷割りをした。

すべるのが怖いから。

道具は何を使ったのかはよく覚えていないが、
とにかく、雪をかくというよりは、氷を割る作業。

そんなことをしているのは私くらい。
(あるいは、私たち夫婦くらい)

キリのない作業だった。

まあ、半ば、やりたくて
やっていたようなところはある。

で。

それからしばらくして・・・


その一面の氷の板が、
すーっとなくなったのだ。


ほんとに、すーっと、
音もなく、いつのまにか。


春というにはまだ暖かさがたりなかったが、
おそらく太陽高度と日照時間が
上がったためだと思われる。

あの作業はなんだったのだろうと思うと同時に、
「おひさまってすごい」「春ってすごい」と思った。

そして、あの作業をしていた自分が、
ちょっとはずかしくなった。

実は、この土地に住むよりもだいぶ前に、
森進一の「襟裳岬」のなかにある
「襟裳の春は何もない春です」
というフレーズが気になっていた私。

「何もない春」って、
なんだか妙に惹かれる響きだわ〜
と思っていた。

その歌詞の意味は
いまだによくわかっていないけれど、
何もない、あるいはなさしめる、って
すごいということを、
先の経験ではじめて体感したように思う。

一般的には、「ある」ことに価値がおかれ、
そして、「何もない」のは空虚だ、
ということになるような気がする。

「あの人って何もないよね」
「あそこには何もないよね」
と言われると、
大抵は悲しいと思う。

でも、何もない、なさしめるって、
実はけっこう、難しいんじゃなかろうか。

なさしめようとしても、
なんだかんだ、
「あって」しまうものなのだ。

だから、あらしめるより、
なさしめるほうが、
実はきっとたいへん。

そんなことを、今は思う。

というわけで、
あの冬、カンカンちびちびち割っていた氷が、
音もなくいつのまにかすーっと消えたことに
「なさしめる」太陽と春の力を発見した
南国育ちの私でございました。



本来、生活ブログに書くことのような気がするけど、
いま別の話題にとられちゃってるので
こっちを借りちゃったよーん
 2013.01.17 Thursday 13:40 生きもの・自然 permalink