ある対談を聞いて思い出した、娘・乳児時代の予防接種のこと/感じることと言葉

noteでよくお話しさせていただいている桃生かのこさんが、
「安野Show」で対談をされたとのことで、 聴いてみた。
https://note.mu/canokomonou/n/ndae139ecb288

公開されているのは、藤江和久さんのnote内です↓
https://note.mu/fujie696969/n/nb06133d981a0

「47分」と聴くとかなり時間がかかるように思えるけど、
おふたりのやりとりが軽快(!?)で、
実際に聴いてみるとそんなに長い感じはしないので、
よろしかったら全部どうぞ…

と言いたいのだが、
時間をどう感じるかは人それぞれだとして
47分かかるのは事実なので、
もし時間がない方は、
前半だけでも聴いてみるといいかもしれない。

(私にとっていちばん印象的だったのは、
 開始22〜23分後の桃生さんのお話だった)

私は、対談を聴きながら
「感じる」ということに関連して、
あることを思い出していた。

それは、乳児だった頃の娘を
予防接種に連れていったときのこと。

何歳のときの何の予防接種だったのか
さっぱり覚えていないが、
幼稚園児ではなかったから、
乳児といっていい時期だったと思う。

予防接種を終えて、
おそらく泣いていたであろう娘を抱いて
「いまのは〜夢だったのかなぁ〜〜♪」
とか、適当な即興ソングを作って歌ってあやしていたら、
近くにいた看護師さんが、
その即興ソングを「うまいですね」と
いったんほめてくださったあと、
「でも、うそはつかないほうがいいかもしれませんね」
と、やさしく諭してくださったのだ。

「痛かったね、がんばったね」
と声をかけてあげたほうがいいですね、と。

なるほどねぇ〜〜としみじみ思った。

注射を受けたのは事実。
(おそらく)痛かったのも事実。
それをなかったことにしない。
泣かれ続けると困るからといって。

同じような話を
娘が小学校高学年のときにも
聞いた覚えがある。

確かスクールカウンセラーもされている
臨床心理士さんの講演だったと思う。

公園などで転んで足をけがした子どもに
「痛くない、痛くない」
と声をかけているおかあさんを見かけることがある、
という話。
「だれの足だよ…」
と。(確かに)

「おかあさんが大変になるからですよね…
 病院に連れていかなくちゃいけなくなったりすると…」と。

曖昧な記憶で再現しているので、
私が細部を捏造しちゃっているかもしれないが、
少なくとも、そんなふうに自分のなかにインプットされて
納得しているということは事実。

もちろん、かつての、そして今の自分を含む
母親を責めるためにこの話を書いているのではなく、
いま考えているのは、

 感じられなくなること
 いま自分はどう感じているのかわからなくなること
 いま自分はどう感じているかを認められなくなること

は、こわいことだな、ということ。

かえすがえすも、
母(保護者)という存在の責任の重さよ・・・
成育歴の自己解釈
https://note.mu/tamami_tata/n/nb2dc40e3497f


でも。


この文章を書きながら思った。


感じることの大切さは、
母親自身にも言えることなのだろう。


| /PAGES |