「量の算数」は実現できているか?

学校公開で観た算数の授業
(習熟度別学習/分数のかけ算・わり算)
をもとに考えたことを書いている。

1.2つの気持ち/習熟度別学習における分数の授業を観て
2.算数の問題のリアリティってなんだろう?
3.かけ算・わり算の文章問題における「1」の存在感
4.『「分数のかけ算・わり算」がペンキを塗る話になるわけ』
というテキストのこと

5.教科書における分数のかけ算の導入



6.「量の算数」は実現できているか?

そんなこんなで、現行の算数教育では、
基本的に「量」で数の計算を学んでいる。

つまり、1.2kgや6/7dLなど、
単位のついた小数・分数で、
小数・分数の計算を学んでいる。

「割合」は、また別問題。

しかし、算数に「量」が取り入れられているかといって、
これは本格的な「量の学習」と言えるのだろうか。

あくまでも、算数を学ぶときに、
「量」を便宜的に使っている、
ということなのではなかろうか。

長さ、広さ、重さ、水のかさなどは、
具体的なもので示すことができて、
体感することもできるし、
計測することもできる。

また、普遍単位という便利なものもある。

実際に算数では
kgやmなどの量の単位も学ぶわけであり、
単位のついた小数・分数で
小数・分数の計算の仕組みを学ぶことは
理にかなっているようにも思える。

しかし、人生のなかで、1.2kgには出会っても、
6/7Lに出会うことがどれくらいあるだろうか?

もし、かけ算の仕組みを学ぶことが目的だったら、
教科書のペンキぬりの問題に出てくるペンキのかさは、
1/3dLという単位つきである必要はない。
1/3缶や1/3ビンでもかまわないのだ。

このことに関連する話として、
数学教育ブログのほうで、
「比的率」は外延量という考え方という、
一連の記事を書いたことがある。

込み入った議論なので、
いまは深く追わないが、
このときに私が思ったのは、
「量」の学習ってなんて難しいのだろう!
ということ。

たとえば、「単位」について、
(4) 国際単位系SIと「単位1」
という記事のなかで、

  量(quanity)の値(value)は一般に
  数字(number)と単位(unit)の積として表される.

  単位とは単にその量の基準となる特別な例のことであり,
  数字は「単位」に対する「量の値」の比を表す.

の部分を抜き出したが、
この文言が私にとってはすでに、
カルチャーショックだった。

また、

   単位の定義に求められるのは何より実用性、
   すなわち現在の社会生活に必要かつ十分な精度を持ち、
   定義値が容易に実現できることである。
   このため、定義の独立性は意味を持たない

という言葉も胸に響いた。

実用性が求められ、精度を持ち、
定義値が容易に実現できること。

「量」というのは、
リアルな社会生活で取り扱われるものだから、
ある意味、シビアなものなのだ。

言い方を変えると、量で表されるものは、
もともと存在しているかもしれないが、
それを扱いやすくなるよう、
みんなで共通したものとして扱えるよう、
単位を与えたのは人間であり、
数値を与えたのも人間である。
(と、私は思っている。
 また、「単位って権威だな…」
 と感じたこともある。)

小学校では単位も学ぶので、
これらが確固たる存在物のように思えるが、
実際には、これらは「定義」されているものなのだ。

「原器」があれば
存在しているようにも思えるが、
逆に「原器」で定義すると、
「原器」が変化することで、
量が変わってしまうということもあるだろう。

なお、現在は、
質量以外は物理法則で定義されているそうで、
計測技術の問題をわきにおいておけば、
定義が変わらない限り、変わらない、
ということになるそう。
(ウィキペディア>国際単位系

1/3mという長さは、
確固たるものに感じられるけれども、
結局、「m」という長さの単位を1としたときに、
その1/3にあたるものという意味で、
「割合」からは逃れられないのではなかろうか。

先ほど「外延量」という言葉が出てきたが、
これに対して「内包量」という言葉がある。

 もちろん、この区分自体を
 ナンセンスと思っている人たちもいる。

外延量というのは、
長さ、重さ、体積、時間など
“大きさ”もしくは“広がり”の量であり、
内包量というのは、
密度、濃度、温度、速度などの、
いわば“強さ”の量のこと。

初期の段階から数教協に関わっている
銀林浩という重鎮の先生がいらっしゃるのだが、
銀林氏は、比例学習のある部分を整理すると、
小学校の低学年・中学年・高学年の教育内容は、
「整数/離散量」「小数/外延量」「分数/内包量」と、
きわめて合理的に分割される、
というようなことを書いておられる()。

小学校高学年で学習する内包量としては、
先の「比的率」の議論をおいておくと、とりあえず、
人口密度などの「単位量あたりの大きさ」と
百分率などの割合、そして速さがあてはまる。

しかし分数は、引き続き、面積やかさなどの
「外延量」として扱っているのだ。

外延量はたし算・ひき算と相性がよく、
内包量はかけ算・わり算と関わりが深い。

なのに、「分数のかけ算・わり算」が
外延量としての量分数を使って
教えられている。

算数教育を“教科書レベル”で問い直すとき、
4つの数値の対応表や、
二重数直線といった便利ツールで
お茶を濁すのではなく、
上記のことを根本的に考える時期に
きているのではなかろうか、と
娘の学校の授業を観て、
あらためて思った。


(つづく)



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