かけ算のプリント 「お皿を先にかいちゃうね」
例のかけ算の図を示すプリントは
授業中に時間がたりなかったとかで、
最初の3問しかやっていなかった。
残りの2問は、宿題としてうちで解いた。
[1][2][3]は(1あたりの量)(いくつ分)の順で数値が出てくる。
[4][5]は(いくつ分)(1あたりの量)の順で数値が出てくる。
しかし娘は、もう戸惑わなかった。
ほんとうに単に時間が足りなかっただけらしい。
どちらも、(1あたりの量)を○で示し、
(いくつ分)のお皿をかき、
(1あたり量)×(いくつ分)の式を書いて答えを出した。
娘が[5]を解いているときに、ハっとした。
こんな言葉を口にして、次のような行動をみせたのだ。
「もう、かいちゃうね…(と言って、途中からお皿だけをかき始める)」
そうか。
考えてみればあたりまえの話なのだが、
容器とそれにのっているものの図を書くとき、
容器のほうを先に書くのはとても自然なことに思える。
そもそも、容器がなければ配れないし、
袋がなければ袋詰めできないし
箱がなければ箱詰めできないし、
串がなければ串刺しができない。
例のシールの問題で、3皿分が空なのも、
のっている丸を省略しているからだ。
ということは、少なくともここの部分に関しては、
お皿を先に(というか、結果的にお皿だけを)かいたことになる。
そして、なぜ娘はわざわざ私に
「もうかいちゃうね…」と申告したのだろう?
(ということに気がつくのに2日くらいかかった)
あとできいてみたら、「適当」ということで、
本人の自覚としては、特に深い意味はないようだった。
先生は黒板に書くとき、どんなふうに書いていたのかな?
娘にきいてみたが、覚えていないということ。
かけ算が使えるのは、
みんな同じ数ずつの何かがいくつかあるときだけなので、
まずは同じ数ずつである「1あたりの量」を見つけることが、
かけ算の本質なのだと思う。
ばらばらの個数がのっているお皿がいくつかあっても、
かけ算は使えない。
だから、(1あたりの量)×(いくつ分)で式をかかせる。
私はそう思っていた。
しかし、娘がプリントの問題を解く様子をみて、
「(いくつ分)×(1あたりの量)派」あるいは
「こだわるのはおかしい派」の人の気持ちが
はじめてわかった気がした。
そもそも、「等しい1あたりの量が存在すること」
を認識していなければ、式は書き始められない。
ということは、式を書き始める段階では、
「等しい1あたりの量の存在」は、
すでに確定していることになる。
その上で、どちらの数値を先に認識するか、は
確かにどちらでもいいのかもしれない。
あるいは、(いくつ分)を先に確認するほうが、
人によっては自然なことなのかもしれない。
みかんを4個ずつ6人に配って〜と言われれば、
人によっては(あるいは状況によっては)、
たくさん重なったお皿から1皿ずつとって4個ずつのせていき、
6枚になったらそこでストップするかもしれない。
しかし、4個ずつ配るんだな、ということを確認したうえで、
まずはお皿を6皿用意して、そこにみかんを4個ずつ置いていくのは、
とても自然な配り方だ。
この場合、6×4 のほうが自然に思えてくる。
が。
ここでわく疑問と興味がひとつずつ。
疑問→ 記号×の左側と右側は、認識の順序に対応しているのか?
興味→ 位取り記数法のことについて考えてみたい。
でも、その前に考えておきたいことがひとつ。
なぜ、かけ算の順序にこだわった指導をしたのに、
保護者会で「かけ算の文章問題につまずきがち」
という話が出たのだろうか?
(つづく)
授業中に時間がたりなかったとかで、
最初の3問しかやっていなかった。
残りの2問は、宿題としてうちで解いた。
[1][2][3]は(1あたりの量)(いくつ分)の順で数値が出てくる。
[4][5]は(いくつ分)(1あたりの量)の順で数値が出てくる。
しかし娘は、もう戸惑わなかった。
ほんとうに単に時間が足りなかっただけらしい。
どちらも、(1あたりの量)を○で示し、
(いくつ分)のお皿をかき、
(1あたり量)×(いくつ分)の式を書いて答えを出した。
娘が[5]を解いているときに、ハっとした。
こんな言葉を口にして、次のような行動をみせたのだ。
「もう、かいちゃうね…(と言って、途中からお皿だけをかき始める)」
そうか。
考えてみればあたりまえの話なのだが、
容器とそれにのっているものの図を書くとき、
容器のほうを先に書くのはとても自然なことに思える。
そもそも、容器がなければ配れないし、
袋がなければ袋詰めできないし
箱がなければ箱詰めできないし、
串がなければ串刺しができない。
例のシールの問題で、3皿分が空なのも、
のっている丸を省略しているからだ。
ということは、少なくともここの部分に関しては、
お皿を先に(というか、結果的にお皿だけを)かいたことになる。
そして、なぜ娘はわざわざ私に
「もうかいちゃうね…」と申告したのだろう?
(ということに気がつくのに2日くらいかかった)
あとできいてみたら、「適当」ということで、
本人の自覚としては、特に深い意味はないようだった。
先生は黒板に書くとき、どんなふうに書いていたのかな?
娘にきいてみたが、覚えていないということ。
かけ算が使えるのは、
みんな同じ数ずつの何かがいくつかあるときだけなので、
まずは同じ数ずつである「1あたりの量」を見つけることが、
かけ算の本質なのだと思う。
ばらばらの個数がのっているお皿がいくつかあっても、
かけ算は使えない。
だから、(1あたりの量)×(いくつ分)で式をかかせる。
私はそう思っていた。
しかし、娘がプリントの問題を解く様子をみて、
「(いくつ分)×(1あたりの量)派」あるいは
「こだわるのはおかしい派」の人の気持ちが
はじめてわかった気がした。
そもそも、「等しい1あたりの量が存在すること」
を認識していなければ、式は書き始められない。
ということは、式を書き始める段階では、
「等しい1あたりの量の存在」は、
すでに確定していることになる。
その上で、どちらの数値を先に認識するか、は
確かにどちらでもいいのかもしれない。
あるいは、(いくつ分)を先に確認するほうが、
人によっては自然なことなのかもしれない。
みかんを4個ずつ6人に配って〜と言われれば、
人によっては(あるいは状況によっては)、
たくさん重なったお皿から1皿ずつとって4個ずつのせていき、
6枚になったらそこでストップするかもしれない。
しかし、4個ずつ配るんだな、ということを確認したうえで、
まずはお皿を6皿用意して、そこにみかんを4個ずつ置いていくのは、
とても自然な配り方だ。
この場合、6×4 のほうが自然に思えてくる。
が。
ここでわく疑問と興味がひとつずつ。
疑問→ 記号×の左側と右側は、認識の順序に対応しているのか?
興味→ 位取り記数法のことについて考えてみたい。
でも、その前に考えておきたいことがひとつ。
なぜ、かけ算の順序にこだわった指導をしたのに、
保護者会で「かけ算の文章問題につまずきがち」
という話が出たのだろうか?
(つづく)