発案だけでなかなか話が進まない「メディモン(メディカル・モンスター)」

いまとなっては、いつこの話が出たのか、
なぜ出たのか、親子して記憶にないのだが、
わが家ではメディモンなる企画がずいぶん前に立ち上がり、
そして座り込み、やがて冬眠し、
思い出したように起きだしては、
立ち上がるかのようにみせて
また座り込むことを繰り返している。

メディモンとはメディカル・モンスターの略で、
絵を描くこととお話を作ることが好きな娘が、
お薬のポケモン版を作ろうと
言い出したのか確かきっかけだと思う。

と書いてはみたものの、
本人にももう記憶がないらしく、
もしかしてもしかしたら、
私が言い出したことなのかもしれない。
が、私にも記憶はない。

娘が言うには、小児科で待っている間に
どちらかが思いついたことらしい。
たぶん、1年くらい前のこと。

ちなみに、免疫というか、
身体の中のことには興味を持っている娘で、
3年生のときにはこんな会話をしたこともあった↓
最近の娘の名言/その1 (免疫編)

なお、6年生の夏休みの自由研究のテーマは
「免疫のしくみ」だった。
(ただし、ざっくり研究)

そういえば私も、小学校6年生の頃、
薬剤師に憧れていた時期があった。
お薬の成分の名前に惹かれていたのだ。
家の薬箱から薬の説明書きを取り出し
成分を示す長いカタカナの言葉を眺め、
恐竜の名前みたいだなぁと思った記憶がある。

また、高校1年生のとき、
化学の先生が好きだったこともあり、
化学方面の仕事なんてどうかな、
とおぼろげながら思っていた。

が、高校2年生で「亀の甲」が出てくるようになって
化学に玉砕し、その方向はないと考えるようになった。

と、私の話はおいといて、娘の話。

とにかく娘は、小さい頃から、
薬のお世話になっている。

アレルギー性鼻炎の兆候があり、
ぜんそく予備軍でもあったので、
オノンやザジテンやアレグラ、
ホクナリンテープなどのほか、
あまり使わなかったけれど解熱剤や、
必要に応じて抗生物質にもお世話になったし、
あとは皮膚薬にも大変お世話になってきた。
いまもお世話になっている。

ちなみに、少し前に、
わが家の詐欺対策は薬の名前
という話を書いたが、
腿の湿疹がその後悪化して、
フシジンレオがあわなかったかもしれないとのことで
アンテベート+アクアチムに変わった。

やっと名前覚えたのにね〜フシジンレオ。

 なお、かつて目薬の
 レボカバスチンが覚えられなくて
 バカスカチンという失礼な呼び名で
 呼んでいたこともありました。
 ごめんなさい>目薬さん

そんなこんなで
たくさんの薬のお世話になってきたわけであり、
そうするとたくさん登場人物ができそうだから
これをキャラクターにして
お話を作ろうという案が出ているのだが、
そのためには勉強もしないといけないし、
いざ作ろうとするとなかなか難しい。

『もやしもん』を参考にしようかしらん!?

とりあえず母の案としては、
最近でいえばフシジンレオの解任劇、
あるいはジェネリックの意味あたりを
手がかりにしたらどうかとアドバイスしているのだが、
いまいちピンとこない様子。

この際、実際の薬とは一切関係なく、
名前だけ借りて、そのイメージでキャラクターをつくり、
全然関係ない話を作ってみる?

あ!そうそう、なんで久しぶりに
メディモンの話が再燃したかというと、
娘は現在、寝る前に2種類の薬を飲んでいるのだが、
ゆうべ、どちらか1種類だけを2錠飲んだ可能性が高く、
心配になって、日曜日だというのに病院に電話して
先生に確かめたからだった。

 世話のかかる患者ですみません、先生m(_ _;)m

薬の管理、気をつけなくちゃな…


で、どうしようかメディモン。

とりあえず、やっぱり少しは、
お世話になってきた薬の
勉強をしようということになった。

というわけで、気が向いたら勉強して、
ブログに書いていくかもですーー

きょうも結局、具体的には進まんかった。



(過去の記事の小さな補足)

自分で過去の記事を読み返していて、
ちょっと気になったことがあったので補足です。

ここ数年の、習熟度別学習に対する意見(1)/
佐藤学氏に批判的な立場の方

という記事において、
たぶん、日教組と佐藤学と、
問題解決型学習に“陶酔”している人が
嫌いな方なのだろうと思う。
と書きましたが、
(その後ちょっと書き直しました)
これはもちろん、
「アイスと納豆とりんごが好きな人なんだろう」
というような意味あいでの並列です。

このなかでアイスについては、
http://francesco-clara.cocolog-nifty.com/ blog/2011/09/1-8f75.htmlから、
「学力による子どもの差別化につながる」と問題視するのは、 教師(特に組合系)と、一部の人々ぐらいでしょう。
の1行でそう思ったのですが、
それほどのものでもなかったな…と思いなおしています。

逆にいうと、こういうときにまだ、
「特に組合系」という一言が附されるのだなぁ、と。

が。

ためしにTwitterで「日教組」で検索をかけてみたら・・・


あらま〜〜〜


そうか、現代においてはそうなるんだ。
すごいな日教組(が担う影響力)。

ちなみに私は日教組については全然詳しくないし、
ツイートしている方たちほどの
情熱的な興味も持っていないので、
実際の活動内容や影響力についてはまったくわかりません。

ただ、試しにサイトにいってざっとながめていたら
「母と女性教職員の会」の文字が目に入り、
あ、もしかしてこれだったのかな?と
ちょっと懐かしかったです。
人権概念の相対化という出来事

(母が日教組と関わりがあった可能性は高いけど、
 実際のことはよくわからず…)

きょうは敬体になっちゃった。
補足なのでなんとなく。


習熟度別授業、少人数学級についての論文をひとつ

習熟度別学習について書いていたけれど、
中途半端なままずいぶん間があいてしまった。

最後に論文を1つリンクして、
まとめにしたいと思う。

見つけたのは、
大阪大学大学院国際公共政策研究科
「習熟度別授業、少人数学級は本当に学力を高めるか
 〜TIMSS2007 を用いた実証分析〜」
http://www2.osipp.osaka-u.ac.jp/~yamauchi/gakubu_hp/2012/paper/3.pdf
というもの。

学力問題を考えるときに引き合いに出される
国際的なデータとしては、
PISAが有名かと思うけれども、
この研究ではTIMSSを用いている。

ちなみに、
PISAは、経済協力開発機構(OECD)による学習到達度調査。
Programme for International Student Assessment

TIMSSは、国際教育到達度評価学会(IEA)が行う
国際数学・理科教育動向調査。
(↑ウィキペディアによると、この呼び方は2003年以降だそう)
Trends in International Mathematics and Science Study

なぜ、PISAではなくTIMSSを用いたかというと、
PISAは実生活での成果を見る調査であるのに対し、
TIMSSは授業の定着度を測るものだから、というのが
理由のひとつとしてあげられている。

そしてもうひとつは、
PISAは高校1年生を対象としているので、
高校受験のため既に学校ごとにランク分けされてしまい、
高校が行っている取り組みよりも
生徒個人の能力が大きく反映されてしまうが、
TIMSSでは小学校4年生と中学校2年生が対象となっているので、
調査以前にその学校で行われた指導方法の影響がより反映されるから、
と考えてのことらしい。

さらに、数学のデータを使うことにした理由も示されている。

というわけで、
TIMSS2007のデータが用いられるわけだが、
分析の方法は最小二乗法が使われているもよう。

注目したいのは、
説明変数の1番めが「家庭要因」であること。

生徒の学力には
家庭の環境が大きくかかわっていると
説明されることが多いため、
家庭の環境を示す変数として、
家庭の資産を変数として採択することにしたのだとか。

具体的には、本の冊数、コンピューターの有無を
その家庭の文化レベルや
教育にかけるコストの代理変数として含めたのだそう。

で、分析の結果はどうだったかというと、
小学生、中学生ともに
家庭の資産が正の説明力を持っていることが
示されたもよう。
(正の相関関係があったってことかな?)

これはすでに他の多くの先行研究でも
示されている通りである、とも書いてある。

また、小学校においては、習熟度授業・少人数学級共に
学力へ影響を確認することはできなかった、とのこと。

一方、中学校においては、
少人数学級は学力にはマイナスの影響があり、
習熟度別授業は学力に影響を及ぼさなかったが、
両方を行うことにより
学力にプラスの影響があるということが示されたらしい。

この結果をふまえ、次のような政策提言がなされている。

 小学校については、各自治体にまかせるべし。
 また、少人数学級の効果が認められ、
 かつ財源に余力がある自治体では
 少人数学級を推進すべし。

ざっとこんな感じ。

一方、中学校については、
組み合わせた場合の効果が確認されたから、
習熟度別授業と少人数学級を
組み合わせて行うことを提言している。
そのための教員数拡大もあわせて。



私がこの研究発表を読んで思ったのは、
何かをハカるって難しいなぁ、
ハカられた何かをもとに分析するって
難しいなぁ、ということ。

何をどうハカるか、
調べたいことをどんな数値に代表させるか、
どんな変数を選び、どんなデータを使い、
どんな分析方法を用いるか。

そうして得られた分析結果をどう読み、
それをどう活かすのか。

私も、教材の仕事で度数分布表の問題を作ることがあるが、
ほんとに表面的なことしか問えていなくて、
「だからなんなのだ」と自分でも思う。

その分析でいったい何がわかるのか、
何がしたいのか。

しかし、何かを検討したり、
それを人に説得できる形で示したりするためには、
調査や分析は不可欠だろう。
それが、「科学的」ということなのだろうし。

たとえば私が、個人的な感覚で、
「このあいだ○○小学校の6年生の“下位”クラスで
 子どもたちが NO DATA になってました〜」
とうったえても、何の一般性もないし、
何の説得力もない。

かといって、
データ分析の積み重ねが
国の教育方針を動かしているのかというと、
それもよくわからない。

上記の研究発表でも、
「学力低下」への危機感が生まれたのは
1999年3月の雑誌『週刊朝日』において
日本の難関大学の学生が「学力崩壊」を起こしている、
という衝撃的な内容の記事が掲載されたのが
ひとつのきっかけであると書いてあるし、
同年6月出版の『分数ができない大学生』の書名も
出されている。

私はこれらの雑誌や書籍読んでいないのだが、
かなり説得力のあるデータが示されているのだろうか?

いずれにしろとりあげられているのは、
研究の積み重ねではなく、
衝撃的な雑誌の記事、一般書籍であり、
そういう形での「世間の声」なのではなかろうか。

確かにPISAショックは関係者(←だれ?)にとって、
ショックだったかもしれない。
たとえ相対的なものだとしても、
「順位が下がること」がショックな人は、
とてもショックだろうから。

かくして「ゆとり教育」は、「失敗」の烙印をおされる。
http://japanese.joins.com/article/516/93516.html?sectcode=&servcode=

ということになると、 次の手を講じなければならない。

で、講じられる。

その結果がどうだったのか、
今度はどんなふうにハカられるのだろう?
そこから何が見出されるのだろう……

また、家庭の資産の格差の正の説明力は、
それがわかった(念押しされた)として、
それこそどうしたらいいのか。
「家庭の資産度別指導」をやってみる?



と、つらつら書いてきたが、
結局、あんまりまとめにならなかった。

今度また学校公開があったときに、
他のクラスも含めてのぞいてみて、
何か感じることがったら報告します。

なお、数学教育ブログのほうで、こんな記事を書いてます↓
教育のなかで「多様性」をどうとらえていくか



ここ数年の、習熟度別学習に対する意見(2)/教師の立場から

学校公開で観た算数の授業
(習熟度別学習/分数のかけ算・わり算)
をもとに考えたことを書いている。

1.2つの気持ち/習熟度別学習における分数の授業を観て
2.算数の問題のリアリティってなんだろう?
3.かけ算・わり算の文章問題における「1」の存在感
4.『「分数のかけ算・わり算」がペンキを塗る話になるわけ』
というテキストのこと

5.教科書における分数のかけ算の導入
6.「量の算数」は実現できているか?
7.こんな算数の授業はどうですか?
8.習熟度別指導が普及した背景
9.保護者が「習熟度別学習」を求めている?
10.ここ数年の、習熟度別学習に対する意見(1) 
   /佐藤学氏に批判的な立場の方



11.ここ数年の、習熟度別学習に対する意見(2)
   /教師の立場から

次は、実際に習熟度別学習を行った経験のある
学校の先生の意見。


まなびのへやANNEX
その105 「習熟度別学習」ってやつ
その106 続「習熟度別学習」ってやつ
その107 また別の「習熟度別学習」ってやつ
その108 「習熟度別学習」ってやつの個人的まとめ


学校内部のリアルな光景が伝わってきて、
大変に興味深い。

どの文章にも読むべき箇所があると思うが、
個人的にいま特に注目したいのは、
「その106」の内容。

つまり、習熟度別学習が
「できる子」たちに与える影響のこと。

思うに、習熟度別学習で
“損”をすることがあるとしたら、
それは「下位」クラスの子どもだけでは
ないのではなかろうか?

習熟度別学習の問題点として、
「学力格差が広がる」ということが
しばしばあげられると思う。

しかし、テストの得点の差が開く、
ということはあるかもしれないけれど、
「学校で得られるはずのものが得られない」
その度合と可能性が高まることは、
全員に共通したことなのではなかろうか。

娘が人数調整で「中位」クラスに行ったとき、
どうして「自分はここは向いていない」と
思ったかというと、「うるさいから」。

なぜ、うるさいのだろう?

そういえば、学校公開のときに、
別のクラス(どっちだったかはわからない)
ものぞいてみたが、確かに、
本来のクラスよりも人数が多いんじゃない?
というくらい多かった印象はある。
(実際に数えてはいないのだが)

これはもう、どうにもこうにも、
「中位」や「上位」も参観せねば・・・
と思っているところ。

それより,さまざまな能力と知識のレベルの子どもたちが一緒に学習し,考えあう中で,ダイナミックな展開が生まれることのほうが,よっぽど個々の学びを深化させるというのが,私の経験上の考えです。

いまは現役ではないそうだが、
30年の教師経験のある方から、
こういう言葉がきけると、
なんだかほっとするし、
明るい気持ちになる。


ここ数年の、習熟度別学習に対する意見(1)/佐藤学氏に批判的な立場の方




10.ここ数年の、習熟度別学習に対する意見(1) 
   /佐藤学氏に批判的な立場の方

いま現在(ここ5年以内)は、
習熟度別学習について
どのような意見があるのか、
web上でわかる範囲で
ちょっとのぞいてみようと思う。

といいながら、さっそく5年以内という枠を
はみ出てしまうのだが、
一応、平成19年の文部科学省のデータをリンク。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/zenkoku/08020513/001/003.htm

こちらはとりあえずリンクとどめて、
巷で読める一般の方の意見を
集めてみようと思う。

まずは、「てんしな?人々」さんのご意見。(2011年)
http://francesco-clara.cocolog-nifty.com/
blog/2011/09/1-8f75.html


たぶん、日教組と、それから佐藤学と、
問題解決型学習に“陶酔”している人が
嫌いな方なのだろうと思う。

この方の目から見ると、きっと私も、
「問題解決型学習」に「陶酔」している人に
見えるんだろうなぁ・・・

そういえば、「平等」については佐藤学氏も
ブックレットに書いていたような気がする。

私は習熟度別指導に反対だが、
それは決して「平等意識」からではない。
「学力による子どもの差別化」という
そんな枠組で考えてはいない。

だから、そういう枠組で反対する人には
賛成できないのだけれど、
同じ枠組のもとで反対に反対する人にも
賛成できないことになってしまう。

東京大学に行くのも、誰でも入れるような大学に行くのも、
実は「習熟度別」(学力)の結果なのです。
東京大学でも誰でも行けるようになってから、そういう批判をしてほしいものです。
(もっとも、それなら「東大」というブランドは地に落ちてしまいますね・・・)


やっぱり、「学力」という発想を覆さないと、
どうにも話が先に進まない気がする。

こちらもリンクしておきます。
http://francesco-clara.cocolog-nifty.com/
blog/2012/02/201225-a775.html


「円」とは何か、教科書にきちんと書いてあるのに、
あれこれ迷わせる必要があるのでしょうか?
「説明」をさせるのが目的なら、国語の単元でやればいいわけだし、
知の蓄積、という文化遺産を軽視しているといえます。


なるほど。

いや、なるほどというのは、
私もそう思うということではもちろんなくて、
1つめの記事のような授業観をもたれている方は、
こういう数学観、数学教育観を
もたれているのだなぁ、ということに「なるほど」。

それにしても、リサーチの量がすごいですね。

この問題をはじめとして、
教育に並々ならぬ関心を抱いておられる、
というのがよくわかります。


(つづく)



保護者が「習熟度別学習」を求めている?

学校公開で観た算数の授業
(習熟度別学習/分数のかけ算・わり算)
をもとに考えたことを書いている。

1.2つの気持ち/習熟度別学習における分数の授業を観て
2.算数の問題のリアリティってなんだろう?
3.かけ算・わり算の文章問題における「1」の存在感
4.『「分数のかけ算・わり算」がペンキを塗る話になるわけ』
というテキストのこと

5.教科書における分数のかけ算の導入
6.「量の算数」は実現できているか?
7.こんな算数の授業はどうですか?
8.習熟度別指導が普及した背景



9.保護者が「習熟度別学習」を求めている?

佐藤学氏の
『習熟度別指導の何が問題か』(2004年)を
もう少し読み込んでいこうと思ったが、
やはり古い。

何しろこの本は
“PISAショック"の直後に書かれており、
その後状況は変わってしまっているので。

http://hokonews.net/2010/12/
oecd-pisa-2009.html

http://www.manabinoba.com/
index.cfm/6,12710,13,1,html

http://www.dokkai.com/wordpress/
2010/12/08/pisa_2009_03/


最近の「習熟度別学習」への評価は
どうなっているんだろう?と
あれこれ検索していくうちに、
次のページを見つけた。

  リセマム
  保護者が学校に求めること、小学生は「習熟度別学習」
  &中学生は「補習授業」がトップ
  (2012年6月8日(金) 17時42分)
  http://resemom.jp/article/2012/06/08/8090.html

こんなサイトがあったんですね。
ResearchするMomかぁ・・・
私もそうなのかもなぁ。

約1年前のニュースなので、
最近といってもいいのだろう。

日本PTA全国協議会が公開した
「23年度−教育に関する保護者の意識調査」
の結果報告にあったものだそうで、
「学校に求めたいことの程度」は、
小学生の保護者の場合
「習熟度別学習の促進」が
高くなっているんだそう。(56.3%)

っていうか、
PTAってそんな調査もしてるんですね・・・

ふぅ。

私もこのあいだまで、
さして問題には思っていなかったので、
ゲンキンといえばゲンキンなのだが。

娘の小学校で
少人数制が取り入れられているのが
「算数」だけなのはなぜなんだろう?
と考えてみたのだが
(予算の問題もあるかもしれないから、
 「算数」を優先させている、
 ということかもしれないけれど)
次のQ&Aのベストアンサーを読んで、
なんとなく納得した。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/
qa/question_detail/q1179671506


算数・数学って、「技術・技能」だと
思われているのだろう。

思うに、PISAをはじめとする各種データや、
「学力」を軸とした議論で、
ある方法の有効性・無効性を分析することは、
両刃の剣だという気がする。



習熟度別指導が普及した背景

学校公開で観た算数の授業
(習熟度別学習/分数のかけ算・わり算)
をもとに考えたことを書いている。

1.2つの気持ち/習熟度別学習における分数の授業を観て
2.算数の問題のリアリティってなんだろう?
3.かけ算・わり算の文章問題における「1」の存在感
4.『「分数のかけ算・わり算」がペンキを塗る話になるわけ』
というテキストのこと

5.教科書における分数のかけ算の導入
6.「量の算数」は実現できているか?
7.こんな算数の授業はどうですか?



8.習熟度別指導が普及した背景

ちょっと古いからどうしようかな・・・と思いつつ、
とりあえず佐藤学氏の
『習熟度別指導の何が問題か』(2004年)という
ブックレットを図書館から借りてきた。

・・・やっぱ古かった。

もはやフィンランドの文字が懐かしい。

が、読むべきところはもちろんあるわけであり、
現状についてはまたweb上で検索していくとして、
とりあえず2004年の段階でまとめられた
習熟度別指導の問題点をのぞいていこうと思う。
(もちろん、これは佐藤氏の解釈ということになる)

なお、これまで「習熟度別“学習”」と呼んできたが、
いまはブックレットにあわせて
習熟度別“指導”と示すことにする。

っていうか、「習熟度別」となると、
あとに続くのは「指導」なんでしょうね。

「習熟度別指導」が文部科学省の文書に登場したのは
2001年1月のことらしいが、その2年後には
小学校で74%、中学校で67%の学校が
「理解や習熟の程度に応じた指導」を実施しているらしく、
「習熟度別指導」は急激に普及している、とのこと。

おおもとには、1984年に設置された
臨時教育審議会で登場したイデオロギーがある
と佐藤氏は分析しているが、
このあたりのきな臭い話をとりあえずわきにおいといて、
個人的に興味深かったのは、予算のこと。

文部科学省は
「習熟度別指導」を奨励しているし、
全国で1000校を研究指定した「学力フロンティア学校」では
「習熟度別指導」の実験を行うことを求め、
一般の学校には「少人数指導」のために
加配(定員以上に教員を配当する措置)を行ってはいるが、
「習熟度別指導」を一律に導入することを求めてはいないそう。

つまり、すべての学校に強制しているわけではなく、
「習熟度別指導」の導入いかんは、
各学校の判断に委ねられている。

しかし現実には、文部科学省が報告書や提言において
奨励しただけで、全国各地の学校に急速に一斉に
「習熟度別指導」が普及した。

このような事態が起こった背景には、
多くの都道府県教育委員会が、
「少人数指導」の実現を「習熟度別指導」の導入と
セットにすることによって、
加配教師の予算を達成したところが多いということが
関わっているらしい。

また、文部科学省も
「学力フロンティア事業」や「少人数指導」の実現を
「習熟度別指導」の導入とセットにして
予算化してきたらしいのだ。

したがって校長先生は、
「習熟度別指導を導入しますか?」と
教育委員会から問い合わせがあったとき、
「導入しない」という選択を行うことは
事実上困難になっている、
という状況があるらしい。

どうしてセットにして予算を達成したのか、
それじゃ結局、導入を通達しているようなもんじゃないか、
という素朴な疑問がふつふつとわく。

こういうこと、他のことでもありそうですよね。
直接「こうしろ」とは言ってないのだけれど、
そうしないと不利益を被るような仕組みになっていて、
間接的に「こうしろ」と言っているようなもんだってことが。

でも、さらに気になったのは、次の部分(p.9)。
 文部科学省は「学力低下」批判への対応として「習熟度別指導」を奨励していますし、

いったい、だれが「学力低下」を批判するのか?


世間でしょ。(林修先生風)


結局、私たちは、私たち自身で、
自分たちが不利益を被るような仕組みを
作ってしまっているのではなかろうか。

しかも、このような制度は、
求められてから実施されるまでに時間差があるので、
直接、迷惑をかけられるのは、
後の世代ということになる。

もちろんこれは、習熟度別指導を
「不利益を被る仕組み」と判断してのことなのだが。

「学力低下」を批判する人たちは、
習熟度別指導を評価しているのだろうか?


  っていうか、「学力低下」しているの、だれ・・・?

   
    それを批判している人、だれ・・・? なぜ・・・?


[関連記事]
1950年代の生活単元学習批判&
2002年度指導要領批判と「産業主義」


(つづく)


こんな算数の授業はどうですか?

学校公開で観た算数の授業
(習熟度別学習/分数のかけ算・わり算)
をもとに考えたことを書いている。

1.2つの気持ち/習熟度別学習における分数の授業を観て
2.算数の問題のリアリティってなんだろう?
3.かけ算・わり算の文章問題における「1」の存在感
4.『「分数のかけ算・わり算」がペンキを塗る話になるわけ』
というテキストのこと

5.教科書における分数のかけ算の導入
6.「量の算数」は実現できているか?



7.こんな算数の授業はどうですか?

これまでは教科書のレベルで
算数教育のことを考えてきたけれど、
ぶっちゃけ、指導要領も教科書も、
さしたる問題ではないと思っている。

いや、指導要領や教科書を考えることは
大事なことだと思っている。
でも、指導要領や教科書を変えることで
教育の本質的な何かを変えようとするのは、
違うんじゃないかな…と思っている。

やはりいちばんの鍵は「授業」にあると思うし、
「教師」にあると思う。

私は教師になりかけてならなかった人間だから
えらそうなことは言えない。

言えないけれど、
娘は今年度小学校を卒業するので、
自然な形で小学校の授業に出入りできるのは
あともう1年ないということになる。

なので、その間に感じられたことを無駄にしないよう、
言うは易しを承知で、思うところを書いていきたい。

さて、1で示したあの授業。

どう運べば、子どもたちは帰ってきただろうか。

自分だったらどうするだろうか・・・
と考えてみた。

で、実際には実行不可能だろうけれど、
こんな情景が頭に浮かんだ。

「中位」「上位」のクラスに行き、
2〜3人ずつ助っ人の希望者を呼び、
「下位」クラスに来てもらって、
この問題をどう考えればいいのか、
説明してもらう。

「中位」の子はそれなりに、
「上位」の子もそれなりに説明するだろう。

何人か呼んできているので、
複数の説明をしてもらえる。

ちなみに、教科書にも、
いくつかの考え方が示されているのだが
それを教科書にやらせずに、
その場にいる子どもたちにやらせてみる。

それで「下位」の子たちが
全員、「わかった!」となることは、
めったに起こらないだろうと
私は思っている。

というか、
もしこの段階であっさりわかったのなら、
単に先生の教え方がわるかったという
ただそれだけのオチになりそう。

あるいは、非常に説明のうまい子どもがいたか。

で、ここが肝心なのだが、
わからない「下位」の子どもたちには、
ぜひ、「やっぱりわからない・・・」と
ふんばってほしい。

あるいは、
なんとなくわからないでもないけれど、
どこか気持ちわるい、
全面的には納得できないということを
なんらかの形で表現してほしい。

「中位」「上位」の子どもたちは、
アプローチを変えたりして、手をつくす。

そして、わからない子のわからなさに
つきあううちに、自分自身が揺らいでくる。

ためしに保護者のみなさまも、
自分の子どもに、算数の問題について、
何か説明してみると、
面白いのではないかと思う。

けっこう、自分のことがわかるかもしれない。

何をどう考えて、どういうふうに対応して、
どこを不問に付しているか、ということが。

実は、このような授業の例を、
数学教育ブログのほうで示している。
「こういう授業っていいなぁ!」と思う授業 (1)

そういえば、娘が3〜4年の頃だったと思うが、
習熟度の異なる子どもたちを
ペアにさせたんだったか、混ぜたんだったか、
とにかく同じ教室で勉強するという
そういう時間がもたれたことがあるらしい。
(娘からかつてきいた話。いまは覚えていないそう)

しかしおそらくこのときには、
わかっている子が、 
わからない子に教える、
あるいはフォローするといった、
構図になったのではないかと、
と想像している。

いま私が思い描いているのは、
そのような「教える−教わる」という構図ではなくて、
考えあうということ。

こういう授業は、
「上位」「中位」の子どもたちに迷惑だろうか?

中学受験を控えているのに、
そんなことにかまけているヒマはないだろうか?

「下位」の子どもたちに説明しているヒマがあったら、
1問でも多く問題を解いたほうがいいだろうか?

私はそうは思わない。

ちなみに、私は個別指導塾や家庭教師で
中学受験生を担当したことがあるのだが、
もし、それが無駄だというならば、
学校に行くこと自体が
ほとんど無駄なのではなかろうか、と思う。

うちで参考書などで勉強したほうがマシ、
あるいはその時間も塾に行っちゃうか、
家庭教師をよぶか。

たとえ「上位」クラスだとしても、
学校は塾の代わりにはならない。
代わりになる必要はないし、
代わりになってはおかしい。

考えあう授業は、
「上位」「中位」「下位」のどの子どもにも、
それぞれの子どもなりに
意味あるものになる可能性が高いのではないかと
自分がそういう授業をやったことがないままに、
思っている。

ならば最初から、
習熟度別に分ける必要はないのではなかろうか?

中途半端に習熟度別に分けて、
それっぽい授業をするより、
学校でしかできないことをやったほうが、
みんなに意味のある時間になるのではなかろうか?

これまでの授業で疑問を感じていなかったのに
ゲンキンな話だが、このたびあらためて、
習熟度別学習の意味を考えさせられた。

まだ授業を観るチャンスはあるので、
わが子のクラスばかりではなく、
「中位」「上位」のクラスも
ちゃんと教室に入って参観しなくちゃと
思っているところ。

[関連記事]
考えを対象化する、相対化すること


(つづく)


「量の算数」は実現できているか?

学校公開で観た算数の授業
(習熟度別学習/分数のかけ算・わり算)
をもとに考えたことを書いている。

1.2つの気持ち/習熟度別学習における分数の授業を観て
2.算数の問題のリアリティってなんだろう?
3.かけ算・わり算の文章問題における「1」の存在感
4.『「分数のかけ算・わり算」がペンキを塗る話になるわけ』
というテキストのこと

5.教科書における分数のかけ算の導入



6.「量の算数」は実現できているか?

そんなこんなで、現行の算数教育では、
基本的に「量」で数の計算を学んでいる。

つまり、1.2kgや6/7dLなど、
単位のついた小数・分数で、
小数・分数の計算を学んでいる。

「割合」は、また別問題。

しかし、算数に「量」が取り入れられているかといって、
これは本格的な「量の学習」と言えるのだろうか。

あくまでも、算数を学ぶときに、
「量」を便宜的に使っている、
ということなのではなかろうか。

長さ、広さ、重さ、水のかさなどは、
具体的なもので示すことができて、
体感することもできるし、
計測することもできる。

また、普遍単位という便利なものもある。

実際に算数では
kgやmなどの量の単位も学ぶわけであり、
単位のついた小数・分数で
小数・分数の計算の仕組みを学ぶことは
理にかなっているようにも思える。

しかし、人生のなかで、1.2kgには出会っても、
6/7Lに出会うことがどれくらいあるだろうか?

もし、かけ算の仕組みを学ぶことが目的だったら、
教科書のペンキぬりの問題に出てくるペンキのかさは、
1/3dLという単位つきである必要はない。
1/3缶や1/3ビンでもかまわないのだ。

このことに関連する話として、
数学教育ブログのほうで、
「比的率」は外延量という考え方という、
一連の記事を書いたことがある。

込み入った議論なので、
いまは深く追わないが、
このときに私が思ったのは、
「量」の学習ってなんて難しいのだろう!
ということ。

たとえば、「単位」について、
(4) 国際単位系SIと「単位1」
という記事のなかで、

  量(quanity)の値(value)は一般に
  数字(number)と単位(unit)の積として表される.

  単位とは単にその量の基準となる特別な例のことであり,
  数字は「単位」に対する「量の値」の比を表す.

の部分を抜き出したが、
この文言が私にとってはすでに、
カルチャーショックだった。

また、

   単位の定義に求められるのは何より実用性、
   すなわち現在の社会生活に必要かつ十分な精度を持ち、
   定義値が容易に実現できることである。
   このため、定義の独立性は意味を持たない

という言葉も胸に響いた。

実用性が求められ、精度を持ち、
定義値が容易に実現できること。

「量」というのは、
リアルな社会生活で取り扱われるものだから、
ある意味、シビアなものなのだ。

言い方を変えると、量で表されるものは、
もともと存在しているかもしれないが、
それを扱いやすくなるよう、
みんなで共通したものとして扱えるよう、
単位を与えたのは人間であり、
数値を与えたのも人間である。
(と、私は思っている。
 また、「単位って権威だな…」
 と感じたこともある。)

小学校では単位も学ぶので、
これらが確固たる存在物のように思えるが、
実際には、これらは「定義」されているものなのだ。

「原器」があれば
存在しているようにも思えるが、
逆に「原器」で定義すると、
「原器」が変化することで、
量が変わってしまうということもあるだろう。

なお、現在は、
質量以外は物理法則で定義されているそうで、
計測技術の問題をわきにおいておけば、
定義が変わらない限り、変わらない、
ということになるそう。
(ウィキペディア>国際単位系

1/3mという長さは、
確固たるものに感じられるけれども、
結局、「m」という長さの単位を1としたときに、
その1/3にあたるものという意味で、
「割合」からは逃れられないのではなかろうか。

先ほど「外延量」という言葉が出てきたが、
これに対して「内包量」という言葉がある。

 もちろん、この区分自体を
 ナンセンスと思っている人たちもいる。

外延量というのは、
長さ、重さ、体積、時間など
“大きさ”もしくは“広がり”の量であり、
内包量というのは、
密度、濃度、温度、速度などの、
いわば“強さ”の量のこと。

初期の段階から数教協に関わっている
銀林浩という重鎮の先生がいらっしゃるのだが、
銀林氏は、比例学習のある部分を整理すると、
小学校の低学年・中学年・高学年の教育内容は、
「整数/離散量」「小数/外延量」「分数/内包量」と、
きわめて合理的に分割される、
というようなことを書いておられる()。

小学校高学年で学習する内包量としては、
先の「比的率」の議論をおいておくと、とりあえず、
人口密度などの「単位量あたりの大きさ」と
百分率などの割合、そして速さがあてはまる。

しかし分数は、引き続き、面積やかさなどの
「外延量」として扱っているのだ。

外延量はたし算・ひき算と相性がよく、
内包量はかけ算・わり算と関わりが深い。

なのに、「分数のかけ算・わり算」が
外延量としての量分数を使って
教えられている。

算数教育を“教科書レベル”で問い直すとき、
4つの数値の対応表や、
二重数直線といった便利ツールで
お茶を濁すのではなく、
上記のことを根本的に考える時期に
きているのではなかろうか、と
娘の学校の授業を観て、
あらためて思った。


(つづく)



(あとから気がついたこと)

教科書における分数のかけ算の導入で、

整数倍はともかく、
小数倍、分数倍は確かに難しいと思うので、
小学校低学年のころは、
「1あたり量×いくつ分」のほうが
好ましいのかもしれない。

と書いたけれど、
これっておかしいですね。
(さっき気がついた)

小学校低学年で、
小数・分数のかけ算は学ばないのだから。

ということは、だからこそ、
最初から「倍」でもいいのかもしれない。



| 1/2PAGES | >>