久しぶりにPTAの話

現在、3年日記をつけているので、
きょうの日記の真上に
1年前の日記があるのだが、
去年の私は、まだ、
おととしのPTAの仕事をしてるんですよぉ・・・

自分のことながら、
かわいそすぎて涙が出そう。

今年のPTAの係はラク。
このあいだ一仕事終えて、
あとふた仕事くらい。 

去年の委員は、
それなりに大変な仕事だったんだけど、
おととしの経験があったのと、
メンバーにめぐまれたのとで
とても楽しかった。

仕事終わってからも、
ランチで会ってますーー

このあいだもチームのみんな(5人)でランチして
いろいろおしゃべりした。

川端裕人さんの話もちょっと出してみた。
(と言っても名前を出しても
みんなわからないから、名前はナシで、
サークル化の話など。)>

が、おぼろげながら感じていたことが、
みんなの話をきくうちに、
少し形になった気がした。

PTA活動を、
「システム」でなんとかしようとするのは、
なかなか難しいかもしれない・・・ということ。

結局、自分がどうしたいのか、
そのためにどうすればいいのか・・・と
自分で考えて、
なんとかしていくしかないのかもしれない。

どうしてもできない場合は、
それこそ、脱退するしかないのだろう。

PTAをサークル化して、
「よかったね(^^)」とみんなで
言い合えればいいのだが、
それはおそらく、
PTAのシステムが変わったときだけで、
今度は別の意味での
クレームも生じそう。

人間の気持ちって、なんでも、
相対的なもののような気がするわけであり。

・・・って、思えるのも、
いま、自分に気持ちの余裕があるからだと思う。

ぼちぼち、先輩ママたちに、
中学校の話を聞いているところ。


PTAによる安全・防犯パトロールの意義から派生して・・・

保護者1〜2年めのころ、
(つまり、娘が幼稚園のころ)
保護者の係や仕事のなかに、
「それって必要?」
と思うものがあると感じていた()。

たとえば、幼稚園正門での朝の旗持ち。

 これはPTA主催だったのか、
 いまとなっては記憶が曖昧なのだけれど、
 ボランティアではなかったし、
 園がさせるとも思えないので、
 やっぱりPTAだったんだろうな・・・

1年に2回あるかどうかの当番だから、
いま思えばそれほど負担はないのだが、
何しろ子どもがまだ小さいし、
登園が難しい日などもあって、
私は気が重かった。

それでも子どもがひとりだからまだいい。
下にお子さんがいる方は、
とても大変だったと思う。

心配性の私は、
確か姉に来てもらって
(前日から泊まってもらって)、
私だけ先に出て
(当然のことながら、旗持ち当番は、
みんなより早く行かなくちゃいけない)
姉に娘を登園させてもらった記憶がある。
そんなふうに姉の力をいっぱい借りて、
子育てをしてきた。

なお、当時は、PTAの係の説明会のために、
子どもを自転車で20分かかる
託児施設にあずけにいくらい不器用だったことは、
PTA活動と、人とのつながり (1)で書いた。

こうやってふりかえってみると、
けっこう私はPTAから、
育てられているかもしれない・・・(苦笑)

それはそうとして、朝の旗持ち。

なぜ、登園の安全は「自己責任」ではだめなのだろう?

当初は、そう思っていた。

だって、幼稚園の場合、
親が連れてくるんですよ?
子どもがひとりで来るわけじゃないのに・・・

また、雨の日はしなくてもいいといったような
そんな規則もあった記憶がある。
安全面では雨の日のほうが大事だろうに、
不思議な話だよねぇ(笑)・・・と、
ママ友と話した覚えがある。

何のために、誰のためにやるのか。
それはやらなくてはならないのか。
私にはわからなかった。

わからないことは、
あまりやりたくないものだ。

しかし。

その気持ちが少し変わるできごとがあった。

自分が役員になってからのこと。
その幼稚園の「旗持ち」は、昔はやっていなくて、
あることをきっかけにして始まったということを、
役員仲間が調べてきてくれたのだ。

そのきっかけとは、附属池田小学校事件。

あの事件を受けて、
子どもたちの安全のために、
何か保護者でできることはないか・・・
ということで、始まったのだそう。

当時、娘はまだ生まれていなかったが、
事件報道のニュースの様子などは
よく覚えている。

子を持つ親ではなくても、
あの事件には震撼したと思うが、
同じ年代の子どもをもつ保護者の衝撃は
大きかったことだろう。

もちろん、旗持ち当番は1人だし、朝だし、
実際に事件が起こったときに
何かできるのか、何ができるのか、
という問題はあるだろう。

しかし、現実的に自分たちができることとして、
当時の保護者は、その方法を選んだのだろうと思う。



さて、実際に自分が朝の旗持ちや、
小学校にあがってからの
夕方の防犯パトロールを経験するようになって、
やる前にはあまり考えていなかったことを、
感じるようになった。

自分が安全・防犯に役立っているというよりも、
自分が新しく知ることが多いなぁ、ということ。

「朝、こんなふうに登園してくる親子がいるんだぁ・・・」とか、
「夕方、こんなに暗くなってから帰ってくる
こんな小さい子がいるんだぁ・・・」とか。

ふだんの生活ではわからない、
他の子どもや、他の保護者の様子が見えてくる。

また、旗持ちではたくさんの親子と挨拶をするし、
パトロールでは顔見知りではない子どもたちと
会話をすることになる。

旗持ちやパトロールは、「全員」がやるので、
つまりは上記のように、
他の子どもや保護者との接触の機会を、
全員が与えられることになる。

安全・防犯にどのくらい役立っているのか?
という本来の意義も皆無ではなかろうが、
もしかするとこっちのほう(やる側)の意味が
大きいのかもしれないなぁ・・・
と思うわけなのであった。

まあ、そこで何かを見ようとするか、
感じ取ろうとするかは、
人それぞれだと思うけれど。
少なくとも視野を広げる機会ではある。



これは一例であり、PTAの活動には
いろいろと経緯や歴史があると思う。

それこそ、ものすごく大きな話でいえば、
戦後の給食の普及など、
PTAの存在の意義の歴史は長い。
http://pta55.blog57.fc2.com/blog-entry-19.html

また、ここまで大きな話ではなくても、
それぞれのイベントや会合に
最初は何かきっかけや意味があったのだと思う。

私が役員をしたときにも、
とある会合に参加する立場の幅を増やすという
新たな試みをすることになったのだけれど、
それは自分たちの経験をふまえて、
よかれと思ってやったこと。

次年度以降の人が、
それをどうとらえているかは、わからない。

ただ、往々にして、きっかけを知らない人や
未経験の人にとっては、
引継ぎ事項=負担になる可能性が大。

私はその点めぐまれていて、
幼稚園でとあるリーダーになったときも、
小学校で委員長になったときも、
その少し前までやっていた大仕事を
前任者や、前々任者や関係者が、
「これは必要ない」とカットしてくれていた。

こういう柔軟性があるPTA環境で
仕事ができていることは、
(不幸中の!?)幸いではある。

歴史やきっかけがわかれば、
あるいはその作業の効果のほどがわかれば、
なくすことだってできるんだと思う。

そういうことを考えていくと、
ここに話は落ち着く↓
PTA活動は合理化できるか!? (1)
PTA活動は合理化できるか!? (2)

PTAのサークル化といった規模には到底届かないが、
私の知る限り、“上層部”はいつも考えているし、
合理化を実行している。

ただえさえ大変ななか、
そういうふうに、
PTA活動をより負担のないものに、
よりよいものにしようと
努力している人がいると知っているから、
その“上層部”にこれ以上の
(心理的)苦労をかけることはできない、
という気持ちがあり、
私は退会という行動をとれないのかもしれない。

そう思えるようになったのも、
これまでのPTA経験があればこそ。
PTA活動をするにつれて、見えてくるものと、
見えなくなっていくものがあると思う

川端裕人さんは確か、
「保護者の意識の分離はアリ」
ということを言っておられたと思うが、
私はそのへん、ふっきれない。
http://www3.atwiki.jp/cloud9science/pages/139.html
>「PTA進化論」

人は、「外部に」身をおいたときに、
いろんなことが、
ヒトゴトになっていくものだと思うから・・・

まあ、PTA全員加入でも、
たとえ年度初めの保護者会でもめても、
活動が始まってしまうと、
クレームを出す側になってしまう人は
いるものだろうが。

でも、PTAへの関わりも、
“なめらか”にこしたことは
ないのではなかろうか・・・と思うわけなのだ()。
そして、自分が“なめらか”のどの位置にいくかを、
その年度で選べるような状況がのぞましいと思う。

自分もそうだけれど、
ネットなどでPTA批判を読んでいると、
批判している相手はだれなんだろう?
とよく思う。

少なくともPTAの“現役員”でないことは確か。

「なんでこんなことやらなくちゃいけないの?」
という問いは、
「なんでこんなことやらせるの?」
という問いでもあるが、
「ではやらせているのはだれなのか・・・?」
と問うてみたとき、答えは見つからない。

やらせている「人」が見つからない。いない。

なのに、なぜか“やらされている”私たち。

結局そこが、いちばん難しくて、
いちばんむなしいような気がする。


じゃんけんに強いほうだと思う自分が6年前のあの日、負けた理由


  念じれば 夢は叶うと 知った春


なんてささやかで、
そして大きな夢なんでしょう・・・ 

というわけで、今年度は
第一希望のPTAの係をじゃんけんで勝ち取った。

実は、きのう行く前に、こんなことを心に決めていた。

どんな状況になっても、
やりたくない仕事に自分から手をあげないこと。

もし、やりたくなくても、
くじやじゃんけんで決まったら、
ご縁と思って受け入れること。

結果的には、やりたいものを
じゃんけんでゲットした形になった。

ちなみに、娘が2年生のときにも、
1対1のじゃんけんで勝って、
とある委員を引き受けた。

ちなみに、娘の小学校のPTAでは、
「委員」というのはけっこう出番が多く、
負担が大きいので、状況にもよるけれど、
やろうとする人が少ない。

しかし「委員」から先に決めるというルールがあり、
だからここで時間を食い、
険悪なムードになるのが常。

場合によっては、最初に決める「学級委員」から
硬直状態に陥ることもある。
(1年生のときがそうだった)

委員なんだから、
もうひとり候補者がいるのなら
譲ればよさそうなものだが、
1年生のとき休憩したので、
2年生では少し働こうと思っていて、
働くならここと決めていたので、
譲らずに勝負に出たしだい。

そんなこんなで、私は比較的、
じゃんけんに強いほうだと思う。
少なくとも弱くはない。

たくさんいるうちの最後まで勝ち抜く、
というほどのことはないけれど、
最初に負けるということもあまりない。
特に、勝ちたいじゃんけんの場合。

そんな私が、忘れられない「負け」がある。

あれは幼稚園年長のころ。

私は役員をしていたとき、
他園との連携をはかる仕事をしていたので、
主な仕事場が幼稚園の外だった。
教育委員会にもよく行った。

年度終わりには役所内で
「学務課はどこですか?」
と見知らぬ人にきかれる始末。

前任者に、
「まるで職員のようになるから・・・」
とは言われていたが、
1年近く仕事をすると、
わがもの顔で教育委員会周辺を
闊歩していたのだろう。
(いや、そこまでは・・・^^;)

で、同じ立場にある保護者の集まりで、
とある係と、それとは別の役職を決める、
「くじ」と「じゃんけん」をすることになった。

最初にくじで決める係のほうは、
絶対に避けたかった。

なぜならば、
朝早く会合に出かけなくてはいけない日があり、
まだ幼稚園はやっていない時間なので
子ども(当然、幼児)を朝早くだれかに預けて、
その人に園に連れて行ってもらわないといけなくなる。
それってへんでしょ?

なお、PTAの都合だからといって、
うちの園では特別措置ができないことを、
副園長先生が気にしておられ、
前年度の役員さんも、
なんかそのへん気にしていたのだが、
私はその時点では、なんのことやら
さっぱりわからなかった。

ちなみに実際にその係についた園では、
もともと、特別に対応してもらえることに
なっている、という話をきいた覚えがある。

というわけで、
まずはその係を決めるための
くじびきが行われ、これはクリア。

思えばおそらく、
ここでくじパワー・じゃんけんパワーを、
ある程度消耗してしまったのだろう。

そのあとは係の希望を出して、
係の中でリーダーや会計を決めた。
確か代表3人でじゃんけんしたのだと思うが、
あいこが5〜6回続いたのだ。
(すごいね・・・とみんなで笑いながら)

どうやら、全員強いらしい。互角らしい。

で、このままじゃあいこが続くと思った私は、
出す手を一瞬考えてしまったのだ。

ほんとに、コンマ何秒の世界だと思うけど・・・(^^;

そして負け、リーダーになった・・・


  ・・・ぼーぜん・・・


前任者から、
分厚いファイルを前に説明を受けていたら、
頭が真っ白になったのをよく覚えている。
(「大変なことになった・・・」と心の中で思った。)

ちなみにその前任者は、1年前、
自分がリーダーに決まったときに、
目に涙が浮かんだのだとか。

というわけで、あの日に私が学んだこと。


   「じゃんけんは無心がいちばん」


  ・・・やっぱり、結局、かなり、むなしい・・・



でも、この1年間はとても充実した1年だったし、
貴重な体験をさせてもらったと思う。

あれでPTAの仕事を終えていたら、
「PTAって、やってみたらなかなかいいかも〜」
と思っていたかもしれない。

やっぱり、毎年毎年、
春の修羅場をくぐらなきゃいけないのが、
すごくストレスフルなんだと思う。


決戦の木曜日(後編)

というわけで、保護者会から帰ってきた。

結論からいうと、今年は第一希望の、
リサイクル係をじゃんけんでゲットした。

ゆうべ、意志をしっかりもつことを自分に念じたし、
今朝は、お祈りしておいた。

さすが6年生ともなると、
みんないろいろわかってるというか、
それぞれ対応してくれるので、
空白の時間はあるにはあったが、
結果的にそんなに険悪な空気にもならず、
時間も思ったほどはかからなかった。

また、これまでの委員経験も配慮された。

形勢がだいじょうぶそうなので、
始まってからは、
それほど緊張していたつもりはないのだが、
決まった係の名簿に記入するとき、
手が震えて自分でびっくりした。


帰り道で、
「今年度1年分の運を使ったかもしれないな・・・」
と思った。


以上、決戦の木曜日のご報告でした。



決戦の木曜日(前編)

きのう寝つきがわるく、眠りが浅かったのは、
きょう、PTA係決めがあるからだろうか、
それとも、ゆうべついつい、
TVドラマ「ST」を観てしまったからだろうか?

PTAの係決めに向けて
緊張したりユーウツになったりしながら、
ぼんやりこんなことを考えていた↓

  子どもが5人いたら、 
  私は動いていたかな?

いや、そんなことはないだろう。

子どもが5人いたら、
まったく別の状況になっており、、
PTAについてまったく別の関わり方をして、
そして結局、何もしなかった気がする。

PTAはおかしいと思っている。
でも、そのおかしいPTAを変えるのに、
自分の時間とエネルギーを
かける意欲がない。



また、こんなことも思い出していた↓

金子由起子さんのブログのなかの、
「私の基礎を作った父の一言」という記事。
http://blog.goo.ne.jp/midorinoyuki/e/
1426ab858ab1f2bc487c2fffe2b8894c


私はこの記事をリアルにとらえてしまい、
笑えなかった。
そして、その後もことあるごとに思い出している。

じっさい世の中は、
金子さんのおとうさんの言う原理で
動いている部分があるように思う。

そのことを、PTAに関連させて
ブログに書くのはあまりにもおそろしくて、
躊躇していたのだけれど、
川端裕人さんのこの記事を読んだら、
書いておこうという気持ちになった。↓

「PTAは、会員ががんで闘病中でもそれを「検出」できない。
そして、役は公平に与えられる(2011.4.15追記)」
http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/
leviathan/2011/04/post_640a.html


  本文を読んでう〜んとうなり、
  そしてコメント欄を読んでさらにうなり。

私も、これに近い話をきいたことがある。
年度中でははなかったようだし、
娘の小学校の話でもなかったかもしれないのだが・・・

しかし、たとえば病状の悪化と
PTA活動の負担との
因果関係を問うのは難しい。

問えたとして、だれがどう、
責任をとればいいのか。

なぜ、このことを思い出したのかというと、
PTAってどうすれば変わるのかな?
と考えたときに、ここに行き着いてしまったのだ。

時間となりました。


では、行ってきます。(フンッ←鼻息)


ちなみに私が戦うのは、
もちろん他の保護者ではなく、
自分。

そして、自分の運命・・・!?


(これを投稿してから出かけようと思っていたのだけれど、
公開の踏ん切りがつく前に時間となってしまった。
すでにいまは決戦のあとでございます)


そういえば1年じゃ終わらないんだった>PTA

きのうの記事で、 
「1年で終わりってわかってるから逆にがんばれる」
という考え方もあるということを書いたけれど、
そういえば1年じゃ終わらないから辛いんだった・・・

その係は終わるけれど、
次の年度もまたPTAはあるのだよ・・・
その次も・・・

それがわかってくるから、疲れてくるんだなぁ・・・

公平さをうながすために、
ポイント制をとっている小学校もあるようなのだけれど、
あまり機能していないという話をきいたことがある。

娘の小学校も、一時は、
ポイントまではいかないけれど、
「履歴」を残して、
なんらかの形で活かそうという
試みがなされたことがあるのだけれど、
結局たいして意味はなく、
その管理をする人の仕事(負担)が増えただけだった。

むずかしいなぁ。

いや、公平さの話でいえば、
実際、「できない」人はいると思うのだ。

そういう方への配慮はとても大事だと思っていて、
私も委員長をしていたときに、
一度も会わない委員の方がいて、
(委員になったあと体調をくずされた)
そういう人に無理させるのがPTAじゃない、
という考えのもと、対応した。
他の委員さんもわかってくれたと思う。
(翌年度は、係決めの段階から配慮された)

その方の場合、むしろ、
できない状況であることを
早めに伝えてもらたので助かった。

やるそぶりだけ見せてやらないのが、
いちばん困るのだ。

出かける準備をしなきゃいけないので、
ここまでで投稿しようっと。


この時期に保護者が読むものといえば

川端裕人さんのツイートですよねっ!
https://twitter.com/Rsider


今年はPTA事前対策ゼロだからなーー
どうなるかなーー

とにかく、がまん大会に負けないことだな。
そして“いい人”ぶらないことだ。

  7年かけて学んだことが、
  この2行って、なんかむなしい・・・

しっかし、この“春のユーウツ”は、
なんとかならんものか・・・

 PTA係決めのユーウツから解放されたとき、
 子育ての大半を終えていると思うと、
 さらにむなしい・・・

あ、そうそう、
保護者8年目にして思う、PTA活動についての4つのことで、
もし、同じ状況がずっと続くとわかっているならば、
なんとかしなくては・・・と思う気持ちも強くなるかもしれないが。
と書いたけれど、
その後、あるおかあさんとおしゃべりしたとき、
「1年間で終わりってわかってるから(逆に頑張れる)」
というようなことを言っていて、
なるほどなぁと思った。

そういう考え方もできますねぇ。

ちなみにこのおかあさん、
とっても活動的で面白い人で、
今年は役員に借り出されたわん

いつかそうなるだろうとは思っていて、
再来年くらいかな?と予想していたら、
さっそく話がきましたねぇ・・・

あと、どうしてこの人が
これまで役員やらずにすんでるんだろう!?
って、(私だけじゃなくてみんなが)思ってる、
すっごくできる人&気遣いが細やかな人がいて、
「どうやって逃げてきたの!?」
なんてきいたこともある

まあそこはいろいろ戦略があるらしく、
そのくらい“できる”ってことなんでしょう。
もちろん、役員はやらなくても、
それ相応の役どころにはついている。

6年生ともなると、
役員さんのなかには知っている人も多く、
「係決め」で憂鬱になってる場合じゃないよなぁ、
とも思うのだが、そうはいっても、
私、もう、幼稚園のときの役員と、
4年生のときの委員長と、
2、3、5年の委員で、
義務教育分のPTAの働きはしたと思いますーー
(幼稚園は義務教育じゃないけど)

そこんとこ汲み取っていただいて、
今年はどうか委員ではなく係で・・・


 と、ここでお願いしてもどうにもならないのが、
 結局、むなしい・・・


保護者8年目にして思う、PTA活動についての4つのこと

今年、私が所属している委員会は、
夏休みの少し前に行なわれるイベントの係。

というわけで、
個人的に緊張が高まってきているきょうこのごろ。

そういう状況のなか、
PTA活動について思うことが4つあるので、
忘れないうちに書きとめておこうと思う。

まず1つめ。

やっぱり、実際に活動しているとき、いちばん大変なときは、
ポジティブな意識でいたいということ。
PTA活動にやや煮詰まったときの、
矛盾を承知の支えのフレーズ


このポジティブシンキングが
PTAの問題を見えにくくしているとかつて書いたけれど、
やっぱりまっただなかにあるときには
せめて前向きになっていないと、逆につらいものがある。

2つめは、
やっぱり川端裕人さんがおっしゃるように、
PTA活動はサークル化したほうがいいのではないか、
と思う気持ちが強くなったこと。

以前は、そうすることで、
「やりたくない人、やれない人の負担が減る」
と思っていた。

でも、実は、
「やりたい人、やれる人が活動しやすくなる」
面もあるのではないかと思うようになったのだ。

参加するのが困難な人、希望しない人は、
どうしても「やらされる」感覚になってしまい、
そのことは、「やらされる」当人はもちろんのこと、
とりまとめ役の位置にいる人の負担も
ふやしているのではなかろうか。

他の小学校の状況を直接には知らないので
比較しようがないのだけれど、
おそらく娘が通っている小学校は、
PTA活動が盛んなほうなのだろうと推測している。
なので、PTA活動をサークル化しても、
活動が滞るということはないような気がする。

だってね、PTAのなかに入っていない
任意のサークルとかイベントとかもあるのです。
何かやりたい人はいるのです。
そういう人たちは、任意加入になったとしても
不公平感を感じることはあまりないのではなかろうか。

結局、PTAのなにがしんどいのかというと、
「全員参加」の部分だと思うのだ。

もちろん、自動加入には、
PTA活動があるとなんのいいことがあるのか
で書いたような「やってみたら、なかなかよかった」
ということを知ることができる面もあるので、
子どもが1〜2年生のときだけ
「できるだけ加入することをすすめる」
という感じでもいいのかもしれない。


で。


私はその、
サークル化に向けて実際に動きますかって・・・?

  ・・・すみません・・・・・・

いまのところその気力はないです・・・m(_ _;)m

ということを考えだすと、3つめの話。

結局PTAの各組織って、
基本、1年サイクルでまわっていくので、
引継ぎはあるとしても、
年度によって独立しているのですよ。

役員さんや委員会によっては
会長、委員長が2年単位というところもあるけれど、
構成メンバーは一定していない。その年ごとに変わる。

というような流動的な組織の制度を変えていくというのは、
なかなか難しいものがあるのではなかろうか。

がんばって制度や体勢を変えたとしても、
ほどなく自分は部外者になる。
「いいことした」と思えればいいが、
実はそれが余計なことだった、
ということが絶対にないとも言えない。
PTAというのは、そのときどきの
「総意」の“総”を構成しているメンバーが
短いスパンで変わる組織だと思うし、
マイナーチェンジは1年ごとの判断で
負担なくできると思うが
大きな改革は時間を要する。

また、いま現在についても、
気持ちをどれだけ共有できているかが、
よくわからない。

この感覚は、娘が幼稚園生のときに
役員をやったときの印象に端を発している。
「いまのPTAって、めんどうでしょ?」という感覚を
みんなと共有できているかどうかが、
結局のところわからない。

共有できている気がするのは、係決めのときだけ。(^^;

また、自分に視点を移してみても、
1年ごとに違う委員会に関わるし、
私の場合、子どもはひとりで
私の小学校保護者体験も6年間で終わるので、
「なんだかなー」と思っているうちに、
時間が過ぎていってしまう。

もし、同じ状況がずっと続くとわかっているならば、
なんとかしなくては・・・と思う気持ちも強くなるかもしれないが。

というわけで、4つめ。

こういうことを実際に身近にいる保護者と共有できないと、
なんだかむなしいなぁ・・・ということ。

どんなにネット上で共感できる意見を見つけたり、
PTAの問題点に対する根拠や事例を見つけられても、
それは自分の小学校の現況の話ではないわけであり。

もし、身近な保護者と話ができるとしたら、
それこそPTA活動の合間なのだけれど、
1つめに書いたように、実際にやっているときは
ポジティブシンキングになっているので、
こういう話をする気分にはなれないし、
そういう空気でもない。

なんてことを、
こうやってぐちぐちブログに綴っているうちに、
娘は中学生になるのだろう。

なんだかなーと思いながら、
ポジティブシンキングで乗り切る・・・というか、やり過ごす私。

保護者の役割って、なんだ?

保護者の喜びって、なんだ?

PTA活動の緊張感や煩わしさから
開放される日を心待ちにすることは、
娘の小学生時代や中学生時代が
はやく過ぎればいいと思うようなものであり、
それってもったいないし、悲しい。

ので、先日、スケジュール帳に書き加えた。

「○○ちゃんの小学校時代をいっしょに楽しむ」

なんだか素朴なところに話が落ち着いた
きょうこのごろなのであった。



PTA活動があるとなんのいいことがあるのか

というわけで、PTA活動の利点についても
少し書いておこうと思う。

まず個人的な視点から実感していることは、
PTA活動を通して得られるもっとも大きなものは、
「人とのつながり」だということ。

そのつながりが子どもを通したものではなく、
子どもと少し距離のある具体的な作業=PTA活動
であるところにも意味があると思う。

さらには、仕事や趣味などの場合、
そこにいる同僚・仲間は
ある共通項のもと集まっていると思うのだが、
(公立学校の)PTAの場合、
子どもが同年代であることと
同じ地域に住んでいるということだけが共通項であり、
それはそれで1つの共通項ではあろうが、
仕事や趣味での共通項とは意味が異なっている。

あるママ友が「カルチャー」という言葉を使って
説明していて、なるほど〜!と思ったのだが、
要は、特定のカルチャーを共有していることを
前提としていない人たちの集まり、
それが学校の保護者なのだ。

だから、ごくたまぁに、
カルチャーショックを受けることはあるが
(あのパパのように>
それはほんとにめったにないことで、
むしろ、子育てしていなかったら
出会っていなかったであろう人たちと出会えて、
その人たちの素晴らしさに触れて、
面白いなぁ、よかったなぁ〜と思うことが多い。

それは、仕事や趣味といった“カルチャー”を介さない、
もっと生活に密着したつながりであり、
深くはないかもしれないが、幅の広いものだ。

ある役員さんが、
こんなことを言っていたのが印象的だった。
PTAで大事なことって、
すばらしい成果をおさめるかどうかではなく、
「活動のあとのランチが楽しいかどうか」だと。
(なお、活動のあとのランチが楽しいことは、
 確実に成果に反映されることだろう)

そういう意味で、PTA活動って、
目的本位ではないと思う。
いや、人とのつながり自体を目的に据えれば、
それは立派に目的本位になるだろうが。

「えー、そんなことのために時間をとられたくなーい、
ママランチ、ノーサンキュー、私はけっこう」
と思う人もいるだろう。
実は私も、どちらかというとこちらのタイプだと思う、
タイプだった。

しかし逆にいえば、だからこそ、
「ただのママランチ」や、親睦を目的とした集まりよりも、
PTA活動の具体的作業を通しての関係、
そのあいまのちょっとしたコミュニケーションの面白さを
しみじみ感じるのだ。

また、PTAの作業でちょくちょく学校に行くことで、
知るともなく知れていること、
感じるともなく感じられていること(学校の状況など)
もあると思う。

そういう私にとっては、PTAの「自動加入」には、
ある程度意味があるのかもしれないなぁ・・・とも思う。
自動であるからこそ、背中を押してもらえて、
「へえ、PTAってなかなかいいところあるじゃん」
ということを知ることができるから。

私のような怠慢な人間は、任意加入になったら、
あっというまにPTAからはなれるような気がする。

それか、ものすごく納得できないことがあったときに、
熱ーーーく参加してしまうか・・・(^^;

半ば強制だから、しかたなくやっているので、
「いい感じで力が抜ける」という点もあるかもしれない。
表面的に「任意」で、実は背後に見えない圧力、
という状況は、とても怖いと思うし。

以前も書いたように、
PTA活動にできるだけ関わりたくない人を1、
会長クラスを10としたときに、
自分は6くらいの位置どころにいると思うけれど、
この5〜6あたりにいる人、つまり、
「だれかがやらなくちゃいけないなら、
このあたり私がやりましょうか」というくらいの
意識でいる人の背中を押すのに、
PTA活動の強制加入・自動加入は
役に立っているような気がするのだった。

いずれにしろ、
先に書いたような日常的な保護者のコミュニケーション、
クラスや学年を超えた子どもを直接に介さない交流は
子育て中の保護者にとっては意味が大きいことで、
ひいてはそれが学校全体にいい影響を及ぼしている、
と現段階では感じている。
というか、それを期待している。

というくわけで、PTA活動は、
個々の活動の成果よりも、
そこで立ち働く保護者が日常的につくる
“場”のようなもの、その空気の動きに、
より大きな意味があるのでないかと、
個人的には感じているのだった。


川端裕人『PTA再活用論』は別のタイトルのほうがよかったと思う(実際、本当は違ったらしい)

川端裕人『PTA再活用論』のことを、
ママ友に、ちょっとだけ話したことがこれまで3回ある。

1回目は、この本を買ったばかりのころ、
同じ委員会の副委員長さんへ。

なにしろ同じ苦難をともにしていた状況だったので、
すっと受け入れてもらえ、共感してもらえた。
しかし、いかんせんお互い忙しい最中だったので、
軽く話題に出す程度だった。

2回目は、幼稚園時代につきあいのあった友人から
ランチのお誘いがあったとき、
「話したいことがたまっているけど行けそうにない」
という連絡をする際に、ちろっと添えておいた。
ちなみに、今でもつきあいのある、
この幼稚園時代のママ友たちは、
実は同じ幼稚園に通っていたママ友ではない。
(同じ幼稚園に通っていたママ友もひとりいる/
キーワードはP連^_‐)

そして3回目は、とあるママランチにて。
こちらはストレートに「サークル化」の話題として出したのだが、
そのときのメンバーはPTA活動が“見えている”人たち()であり、
すぐに人数調整のことなどをリアルに想定したらしく(さすが^^;)
共感が得られるところまではいかなかった。

ただ、「来年どうする?」という話になったときに
(つまりはそういう仲なのだ。もう来年の話してるしー)
6年生は卒業に関わる係のほかに
有志のグループが活動することが常であり、
「有志のほうがやりたい」という彼女に、
「ほら、サークル化ってそういうことなのよ!」
と伝えたのだった。

さて、それはそうとして。

川端裕人『PTA再活用論』という本が
書かれていること自体に感動している私なのだが、
この本、別のタイトルのほうがよかったんじゃないかなぁ、
そのほうが、手にとるべき人、手にとってほしい人が、
手にとったのではないかなぁ、と思うわけなのだ。

たとえば、「PTAは本当に必要か?」というように、
原点にもどる感じで。

あるいは、本文から抽出した形で、
「PTAは、誰のどんな願いでできているのか?」
でもいいのかもしれない。

ちなみに実際、
もともとは『PTA再活用論』というタイトルではなく、
ネガティブにならないようにという意図で
編集側がつけた書名だったとどこかで読んだ記憶がある。
(ブログのコメント欄だったかな? 
検索すれども見つけられず・・・)
確かもともとは、『PTA、この素晴らしくも悩ましきもの』
といったような感じのタイトルだったと書いてあったような・・・
なお、「素晴らしきもの」と「悩ましきもの」は、
章タイトルに盛り込まれている。

『PTA再活用論』というタイトルの本って、
人にちょっとすすめにくい。
PTA活動に対して積極的なイメージがあるし、
「まだまだ足らん」という感じがしないですか?
もうみんな十分すぎるほどがんばっているのに・・・

「活用」って、使うってことですよね。
「使う」って、主語がいると思うのですよ。
だから、「だれが使うの?」という感じがするのですよ。
そして「“再”活用を前提としているの?」という疑問がわくのです。

もうひとつ言えば、編集部が裏表紙につけた言葉は
完全に「男性目線」であることを、著者自身が指摘している。↓
http://ttchopper.blog.ocn.ne.jp/leviathan/
2008/10/post_af48.html

 
この言葉を書いた人、
PTAのことをリアルに知らない状況であるらしいのは
仕方ないとしても、
編集者として肝心の本の中身をどう捉えているのかしらん・・・

でもまあ、この本が出版されていること自体に感動なので、
「ありがとう」という感じではある。

とにもかくにも、著者自身が
そのことを指摘してくれていることは救いだ。

ほんでもって、昨年度は委員長をつとめた関係で、
会長さんを初めとして、役員さんたちと関わることも多く、
もともと知っている人もいて、
その人となりの素晴らしさを実感・再確認した1年だった。

ほんとにすごい人たちなのだ。

基本、実務能力に大変に長けていて、
(でもこれだけのことなら、そんなにめずらしくないだろう)
なおかつ柔軟性に富み、バランス感覚にすぐれていて、
気遣いが細やかで丁寧で、そして気持ちがあたたかい。
そして当然のことながら、いろいろなものが見えている。
なるべくしてなっている、やるべくしてやっている、
と端から見て思う。

でも、いまはとてもきけないけれど、いつか、
「ぶっちゃけどうだったんですか??」ときいてみたい。
「しんどくなかったですか・・・」と。

しんどくないわけがないだろう。

そのしんどさを、どうやって乗り切ったのか・・・

思うに、PTA活動が「すごくイヤで大変なだけのもの」
にならないよう保護者を救ってくれているものと、
PTA活動が抱える問題を見えにくくさせるものは、
実は同じなのではないかという気が最近している。

それは何かというと、「ポジティブ・シンキング」。

『PTA再活用論』というタイトルも、
ネガティブにならないように・・・ということで
つけられたのだろうが、
「PTAの“再”活用」を決めちゃう前に、
かといって「PTAなんかいらない!」と
ネガティブ方向に突き進むのでもなく、
「なんのためにあるの? ないと困る? 
あるとどんないいことがある?」
ということを、素朴に考えてみる、
そういう視点って、
けしてネガティブなことじゃないと思うし、
大切なことだと思う。

とはいえ、PTAの利点も感じることが多い私。
そっちについても書いとかなきゃな・・・


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