「冷凍から揚げ」の加熱時間と、NON比例

最近、冷凍食品にお世話になることが増えた。
試してみておいしかったらリピートしている。

が。

鶏のから揚げだけは、冷凍食品は大抵マズイ、
という印象をもっていた。

お肉がぐにゃっとしているし、
味付けが濃い。
(レンジのあと、トースターでやけば
 もうちょっとカラっとなるのかな?)

 ちなみにわが家のから揚げは、
 むね肉かささみを薄切りにした、
 さっぱり系から揚げであり、
 から揚げにジューシーさを求めていない。

しかし先日、冷凍食品安売りセールか何かで
娘が選んできた鶏のから揚げが、
まあまあおいしかったので、
もしかすると品質アップしているのかもしれないと思い、
別の機会に、別のから揚げを買ってみた。

日曜日のお昼ごはんで
ためしに食べてみようということになり、
6個加熱することにした。

で、裏面の説明を読んでみると・・・

〔500W〕
1個・・・約40秒
2個・・・約1分
4個・・・約1分40秒
8個・・・約3分10秒

〔600W〕
1個・・・約30秒
2個・・・約50秒
4個・・・約1分30秒
8個・・・約2分50秒

 「冷たい場合は、温かくなるまで
  10秒ずつ加熱してください」
 という注意書きもある。

はて・・・?

6個の場合はどうすればいいんでしょう?

で、娘とあれこれ相談しているときに
娘は最初、1個分の時間を頼りに
6個分の加熱時間を求めようとしたが、
おかしいと気づいたらしく、
「これ、比例していないね」と言った。

もう中1だから、
気づいてもおかしくないわけだけれど、
「これ、比例していないね」
のひとことがいえたら、
小6までの比例の勉強は、
終わったと思ってもいいのではないだろうか。

ちなみに、先の加熱時間の数値を使って
法則性もさがしてみたいところだが、
(たとえば差をとったり)
個人的には、「経験値」なんじゃないかと
勝手に想像している。
(実際にどうやって割り出しているかは
 まったくわからない)

たとえばこちらのページ↓
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6379838.html
では、「ワット×秒=必要熱エネルギー」
の計算を示してあるが、
このから揚げの表示ではあてはまらないし。

なお、結局わが家では、
まず2分温めて、裏返して20秒温めた。
(ターンテーブルがないタイプ。
 裏返しの意味があったかどうかはよくわからず)

こういう題材も、
「家庭学習」のネタになると思うんだけど、
興味がもてるかどうかだよね〜。

というわけで、テーマは身近に
いくらでもあるよ!

(私なら、本気で調べるのなら、
 会社に電話するよきっと・・・^^;)

  *   *   *

ここで終わる予定が・・・っ

この記事のタイトルを決める段階で、
娘が「反比例」を理解していないことが判明しました〜

自分で勉強してください。
いくら横で
「小さくなっていくって習ったよ!」
と訴えてもダメです〜

わかったら報告してください。

  *   *   *

記事の最終チェックをしている間に
わかったもよう。例も言えた。
よかったよかった。


「ママは算数が好きなのに、嫌いな算数が多い。」

きのう、夕ご飯を作っているときに、
娘が「これ、作ってみる〜?」と
何か持ってきた。

娘「単位換算器」

ああ…あれですね。
このあいだの学校公開で観た授業で、
教科書の巻末から切り取ってたやつ。

どういう仕組みなのかは見ていないが、
組み立てて使う、単位換算のための
アナログ計算機みたいなものなんだろう。
(あくまでも推測)

何しろ炊事のさいちゅうだったこともあり、
「…うん…」と気のない返事をしたら、

 「ママの嫌いな分野でしたか〜」

と言いながら自分の机にもどる娘。

え、なにそれ〜!?ときくまでもなく、
だいたい察しがつく。

私がいろいろ、算数に文句をたれるからだよね。
そしてそれをブログに書くからだよね。

娘がその印象をもっとも強くしたのは、
「二重数直線」に関する一件だったと思う。

数学教育ブログのほうであれこれ書いているのだが、
特に娘との関わりについては、
親の自己主張について考えさせられたことを考えなおすの巻
に書いた。

ちなみに「かけ算の順序」は、
うちではネタ扱いになっている。

娘いわく、
「ママは算数好きなのに、
 嫌いな算数多いからねぇ…」

思わず心の中で笑ってしまう。
よくわかっていらっしゃる。

で。

そんな私でも、Twitterで流れてくる
「算数業界」という言葉を見ると、
チクッと心に何かが刺さる。

いや、そんな私"でも”ではなくて、
こんな私"だから”だ。

一応、教材の仕事を細々とやらせていただいているから、
私も「算数業界の人」になるんだろうと思う。
末端の末端だけど。

 とはいえ、今年は、
 シリーズでやらせていただいている仕事を
 中学校にシフトさせていただいたので、
 いまのところ算数と関わりはない。
 今後、校正が単発で入ってきたら、
 やるかもしれないが。

とにかくいろんな意味で、
もう算数業界をはなれたい気分。

できれば教材の仕事からもはなれたいと
思うことがあるのだけれど、
じゃあ、どうやって仕事していくんだ、
という問題があるわけであり。

独り身ならいざしらず、
子持ちで「ニート道」もないもんだろう。

もともと収入は微々たる額だとしても、
とりあえずの肩書きというか立場でもあるし。
(たとえば、教科書会社に問い合わせをするとき、
「小学生の保護者」と「教材関係の仕事をしています」
では、おのずと対応が変わってくるのではなかろうか)

一応お仕事していますのそのお仕事だし、
お仕事あるのありがたいし、
ぜいたく言っている場合じゃないのだけれど、
なんだろう、この虚しさ、倦怠感、孤独感。

いや、お世話になっている会社の人たち、
あるいは原稿をチェックしてくださっている人たちの
細やかな仕事ぶりを見ていると、
決して孤独ではないし、感動もするのだが、
結局私たちの仕事は、
パッと見、どこにでもあるような問題を、
いろいろ条件考えながら、
いろいろ神経使いながら作ることであり、
それでもやっぱり、「ガラパゴス算数業界」と
くくられている感覚があり、
いったいなんなんだろう?と悲しくなる。

で、実際、「ガラパゴス算数業界」に
飽きている面もあるのかもしれない。

と同時に、それが仕事ってもんさ、とも思う。

いろいろ大きな問題はあるだろう。
それは私も認める。

でも、その問題は、同じ業界の片隅にいて、
一生懸命真面目に仕事するだけでは、
変えられない。

かといって、手放しで外野から批判することもできない。

遠山啓および数教協の「量の理論」についても
おもに数学教育ブログで書いてきたが、
「内包量・外延量」「割合分数・量分数」
という量の区別に対する批判も、
食傷気味のきょうこのごろ。

まず、何かにものすごくこだわる先生がいたとしても、
それがいったいどう授業にあらわれているか、
そして子どもたちはそれをどう捉えているかは、
ネット上ではわからない。

そういう先生や傾向を、ネット上で批判しても、
たぶんもう、何も出てこないのではなかろうか。

ただし、後者(割合分数・量分数)については、
教科書がそうなっているので、
教師批判よりも教科書批判のほうが話がはやいと思う。
2つの気持ち/習熟度別学習における分数の授業を観て

〔2014年3月6日追加リンク〕
割合分数と量分数←7年前の記事なので、
ちょっと書き換えたい気分。

〔2014年3月12日追記〕補足1書きました。


娘の小学校卒業を目前に控えて、
私は小学校教師に何をのぞんでいるのか、
あらためて考えてみた。

たとえば、娘の通う学校でも、ある程度
「かけ算の順序」は固定されて教えられているけれど、
そのことについて担任の先生と話したことはない。

話すことがいろいろありすぎて、
かけ算の順序どころではなかった。

小学校の先生に望むことは、
子どもたちひとりひとりにできるだけ目を向けて、
クラス運営をうまいことやってくれること、
もうそれだけでいい、というのが今の思い。

そしてそれは、日々の学校生活を通して、
やるしかないことなんだと思う。

学年があがればあがるほど、
それは教科のなかで、あるいは授業中に、
できることなんじゃないだろうか。

「算数指導」が「生活指導」になってはいけないが、
学びは、子どもたちひとりひとりの成長と、
そしてお互いの成長と、無関係ではないはず。
どんな教科であっても。

小学校の先生も、たぶん、
ここが専門、ここが得意、ここが好き、
という分野はあるのではないかと思うので、
たとえばその分野を拠り所にして、
子どもたちに、学ぶこと、学びあうことを、
伝えることはできるのではなかろうか。

というか、学校を、そういう場所にしてほしい。

 これから中学校に進学すると、
 教科担任になっていくだろうから、
 教科の専門性は増すだろう。
 だけど、クラスづくりはどうなるのかな…?
 と、ちょっと心配している。

6年間のあいだに、5人の担任の先生にお世話になった。
いろんな先生がいらしたけれど、
それぞれに細やかに対応してくださった。

また、担任の先生のみならず、専科の先生、
栄養士や養護の先生、そして主事さんたち、
給食を作ってくださった方々、
もちろん、校長先生、副校長先生にも
大変お世話になったと思う。
スクールカウンセラーの先生にも。

公教育というものを大きな視点で考えていくと、
ときに絶望的な気持ちになることもあるが
内田樹の研究室学校教育の終わり
私たちの生活には、目の前には、
あるひとつのリアルな公立学校があり、
そこでは、リアルにがんばっている先生がいて、
リアルに頑張っている子どもたちがいて、
リアルに頑張っている保護者がいる。

また、ぼちぼち、ママ友たちと、
中学校生活についてのおしゃべりもしているのだが、
これから子どもたちが難しい時期に入っていくにつれて、
ママ友どうしで支えあっていくウェイトも
大きくなっていくかもしれない。

そのときに、これまでの"つながり"は活きるはず。

これからもまだまだ子育ての苦悩は続くのだろうが、
そういうリアルなひとつひとつの問題と対峙し、
家族や身近な人たちを頼って、
なんとかやっていきたいな…
そうするしかないよな…
と思うきょうこのごろなのだった。

仕事はまあ、ぼちぼち考えていくか。


算数のための算数になりきってしまわないように、そして道具になりきってしまわないように

先日、学校の保護者会があった。

最初にきいた校長先生の話には
何かほっとするのものを感じたし、
クラスに分かれてからの担任の先生の話にも
共感できた。

ただ1点をのぞいて。

その1点とは、比例・反比例の話。

保護者会資料に私はこうメモしている。
「比例・反比例、中学で困る、確実に」

たぶん、こめかみがピクついていたことと思う。

この、「あとで困るから...」というのは、
算数に対して
いちばん使われるフレーズではなかろうか?

基本的にこのフレーズに対しては抵抗があるのだが、
比例・反比例に対して使われたときの
違和感といったら、ない。

一度でいいから、保護者会で、
「○○って、わかると面白いし、
 けっこう奥が深いですよ〜〜
 保護者のみなさんも、
 ときどき子どもといっしょに
 考えてみてください!」
くらいのコメントをきいてみたいものだ。

そもそも、「あとで困る」って、
何に困るのだ?

断水の通知があったのに
水をため忘れて「断水時に困る」なら
わかるけれど。(実話)

 非常時用のペットボトルの水で
 手を洗ってしまった。(__;



さて、それはそうとして。

先日、積分定数さんの
掲示板の記事の話を出させていただいたが、
その後、新たに比例についての記事が
追加されているので、
まずはそちらをリンクさせていただこうと思う。

比例について
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t5/34
バネののびが力に比例する理由
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t5/35

バネののびといえば、少し前に、
「投函したあの郵便物は
 切手の額が足りていたか強迫」
に陥ったときに、
自宅のはかりを使って
アレコレ試したり、
考え込んだりしたことを思い出す。

うちのはかりはスケルトンになっていて、
中のバネが見えるのが楽しいといえば楽しいのだが、
「こんなもので5グラム単位ではかれるのか!?」
「精度が落ちるとしたら、
 値が軽めに出るのか重めに出るのかどっちなんだ!?」
などとあれこれ疑ってしまい、
あやうく新しいはかりを買いそうになったが、
最終的には
「心配ならば今後は郵便局に行くべし」
という結論が出た。

これを私の比例体験といっていいかどうかは
はなはだ疑問だけど(^^;
とにかく、割合、単位量あたりの大きさ、比例は、
身のまわりにあふれている。
そして、けっこう社会的なものだと感じる。

「小学校の学習教材のネタの提供」
としてではなく、
過去にこんなことがありました、
こんなことを考えました、
というエピソードとして、
いくつか書き出してみようと思う。

まずは、かわいい(?)例から。

あれは確か高校3年生のときだったと思う。
なんでそんな話になったかは覚えていないが
先生が「バス会社が発行している
11枚綴りの回数券は1割引ではない」
という話をしたことがあった。

ちなみに理系クラスで、担任は数学の先生。
その先生の話だったと思う。

11枚綴りの回数券を10枚の値段で売っていて、
1割引と称していることが前提なのだが、
授業が終わったあと、級友のひとりが
「あれ“1割引”じゃなくて、
 “1割おトクな”って売ってるよね?」
とコメントしているのをきいて、
とてもスッキリしたのだ。

そう、確かに「1割おトクな」と称して売っていた。
バス会社は間違っていないみたいですよ〜>先生
どうせだったら、授業中に、
教えてあげればよかったね(^^)

30数年たっても覚えているのだから、
よほど面白かったらしい。

今度は比較的最近の、やはりかわいい話。

私は、明治リッチストロベリーチョコレートの
「いちご生換算77%使用」が理解・納得できずに
 問い合わせたことがある。↓
明治リッチストロベリーチョコレートの77%の意味・1
明治リッチストロベリーチョコレートの77%の意味・2
明治リッチストロベリーチョコレートの77%の意味・3

知らなくても何も困らないが、
知りたかったのだ。

以上は、算数でいえば、
歩合・百分率の話になるが、
単位量あたりの大きさというと、
第3のエコカー
ダイハツムーブのCMの「TNP」 を思い出す。

そして、いろんな意味での「割合」といえば、
この話題。↓

■asahi.com>
排出量取引、総量規制軸に原単位方式も併記 温暖化法案
http://www.asahi.com/eco/TKY201003110507.html

このニュースには、考えどころがたくさんある。

総量規制と原単位方式の違いを
ただ「算数的に単独に」考えるよりも、
環境省や外務省は「総量方式」を主張し、
経済産業省は「原単位方式」を求める、
その意味とあわせて考えていくと、
話が立体的になると思う。

そう、勉強は、立体的になったときに、
面白くなると私は思う。

つながったとき、と言い換えても
いいのかもしれない。

つなげられたときではなく、
つながったとき。

ちなみにいま小6の娘は、
社会で国会や内閣についても学んでいるので、
少しほぐせば、実際に学習の題材になると思う。

小学校6年生って、
そのくらいのことを考えるくらいには
オトナだと私は思っている。

すべての年代のなかで、
いちばんオトナだと思ったこともある。

そして、各自の個性、こだわり、好み、
得意分野、考え方が、
より表に出てくる年齢ではないかと思う。

だからもちろん、
たとえばこんな題材の授業を、
「習熟度別学習」でやっても、
何の意味もない。

いろいろな子どもがいるなかでやるからこそ
成立するし、面白くなる可能性があると思う。

さて、最後はかなりシビアな話。

以前、生活ブログで、
こんな話題をとりあげたことがあった↓
人生と確率(3)/放射線が人体にあたえる確率的影響

あのときリンクした次のページの
いちばん下のグラフの意味について
考えることができたら、
もう、中学までの比例の学習は
終わったようなものだと考えても
いいのではなかろうか。
http://www.nirs.go.jp/report/nirs_news/9908/hik5p.htm

そんなこんなで、百分率も歩合も、
比例も単位量あたりの大きさも、
身のまわりにあふれている。

また、そういうものとは直結しない、
算数の面白さもある。

10をつくるのは親切心か搾取かは、
数の世界で考えればいいし、
「にごじゅう」にびっくりできるのも
数の世界でのこと。
そして平行が好きであることに、
理由はいらない。

ときにはさざんがきゅーで踊り
九九の七の段にチクチクし、
1÷8に感動し、
分数のたし算を四字熟語で考えてみる

これもまた、子どものリアル、
人のリアルだと思う。

そんな「リアルな時間」を、
算数が生み出せたらいいな、と思う。

算数の授業が、
「未来の準備」や「過去のツケ」ではなく、
「リアルタイムの時間」になるといいな、
と思う。
 


リンク&言及感謝>わさっき

takehikomさんが、
このブログの記事と関連した話題を
わさっきに書いてくださったので、
こちらでも紹介させていただきます。

「速さ」の周辺
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20131207

「割合」の周辺
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20131208

ひとまず今回は、ご紹介まで(^^)


小学校で学ぶ「割合」は大きく2通りに分かれている(さらに「速さ」は独立している)ことについて

Twitterで割合についての質問を出したところ、
積分定数さん(https://twitter.com/sekibunnteisuu)が、
お返事としての記事を掲示板に書いてくださったので、
それを読んで考えたことを書いている。

「割合の三用法というジャンク」という掲示板の、
[28]〜[33]です↓
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t5/l50

[28]についてはこちら>割合の導入と割合の式
[29]についてはこちら>単元や教科の枠組みを捉えなおすこと
[30]についてはこちら>速さと比例、比例と倍、倍と割合



最後に、[31]〜[33]に触発されて考えたことを
書いてみようと思う。

「割合」という言葉を
ウィキペディアは何と説明しているだろう?
と検索してみたら、
割合(わりあい)とは、基準に対するある量の比を表す値である。
と書いてあった。

では、「比」はなんと説明しているだろう?
と調べてみたら、
比(ひ)とは2つ(または3つ以上)の数の関係を表したもの。
と書いてあった。

まあ、そんなところだろうか。

なんらかの新しい概念を知ろうとするとき、
その意味を端的にまとめた言葉を読んでも、
さっぱりわからないということは
大人でもよくあることだと思う。
その説明でわかるのは、
すでにわかっている人だけというか。

でも、ひとことで説明しろといわれたら、
うまい・へたはあるとしても、
だいたいそうなってしまうものだと思う。

教科書で出てくる割合についての「ことばの式」も、
結局、そういう類のものなんじゃなかろうか。

ということについて考えるために、
小学校の算数で出てくる2つの“割合”について、
考えてみる。

私も以前調べてみてびっくりしたのだが、
実は現在の学習指導要領の本文で、
「割合」という言葉を検索すると、
2箇所しかひっかかってこないのだ。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/ new-cs/youryou/syo/san.htm

2つとも第5学年のなかで、
「異種の二つの量の割合」
として出てくる。

異種の2つの量の割合とは、
人口と面積の関係(人口密度)や、
針金の重さと長さの関係などのことであり、
単元としては、
「単位量あたりの大きさ」
が該当する。

なお、なぜ積分定数さんが「w」をつけて
イデオロギーを緩和しているのかというと、
「単位あたり量」というのは
数学教育協議会の言葉だから。

自称“数教協の落とし子”でありながら
いまだに文献のなかに
根拠となる記述を見つけられないのだけれど、
おそらく数教協の立場は、
異種の量の関係である数値を「1つの量」として
積極的に認めようとする立場から
「単位あたり量」という言葉を使い、
教科書はその立場をとらないから、
「単位量あたりの大きさ」という表現を
とっているのではないかと推測している。

taggaさんの次の記事も、
たぶんこれに近いところの話なんじゃないかと思う。↓
http://slashdot.jp/journal/478318/

ほんでもって、
「単位量あたりの大きさ」の学習が
教科書のなかでどう進んでいくかを
学校図書(平成24年発行/5年上)を例にとって
ざっと眺めてみると、
平均を学んだあと(「平均=合計÷個数」の式アリ)、
「人口密度」や1mあたりのはり金の重さの求め方を学び、
 人口密度,1m当たりの重さなどを,単位量当たりの大きさといいます。
というふうに、文章で説明してある。(p.23)

ちなみに、
「速さ」も「単位量あたりの大きさ」なのだが、
こちらは単元として独立しており、
小6で学ぶことになっている。

いま手元に教科書がないので
確認できないのだけれど、
おそらく速さについての「ことばの式」が
載っていることだろう。

では、先日触れた、
シュートの成功率などの割合
は何であるかというと、
こちらは同種の2量の関係ということになる。
しかし、「同種の二つの量の割合」という言葉は
学習指導要領には出てこない。

あるのは、
「百分率について理解できるようにする」
という言葉と、
「歩合の表し方について触れるものとする」
ということくらい。私の見落としでないならば。

なお、算数の学習内容は、
「A 数と計算」「B 量と測定」「C 図形」「D 数量関係」
の4つにわかれており、
「単位量あたりの大きさ」はB、
「百分率と歩合」はDに含まれている。
したがって、「単位量あたりの大きさ」は、
少なくとも小学校では、
数量関係に関わりの深いものと
みなされていない。

 それにしても指導要領って、
 実際に読んでみると、
 けっこうシンプルですよねぇ…

では、割合の学習はどうなっているかというと、
学校図書では、
「割合とグラフ」という単元のなかで
百分率と歩合、帯グラフ・円グラフを
学ぶことになっている。

式としては、まず、
「シュートの成績=入った数÷シュートした数」
というものが出てきて、
そのなかの「入った数」に「部分の量」、
「シュートした数」に「全体の量」
という言葉が添えられている。

そして飛行機のこみぐあいの話になり、 前回の引用部分
 シュートの成績やこみぐあいを表す数のように,もとにする量を1として,くらべられる量がいくつに当たるかを表した数を割合(ルビ:わりあい)といいます。
   割合=くらべられる量÷もとにする量
(p.86)
が出てくる。

さらに次のページでは、
全体と部分という関係にない2つの量を
割合を使ってくらべる問題が出され
(学級の人数について、
 女子の人数をもとにした男子の人数の割合、
 男子の人数をもとにした女子の人数の割合)
 もとにする量を変えると,割合も変わります。割合は,1より大きくなることもあります。
という説明がなされている。(p.87)

このあと、百分率、
100%より大きい割合(電車のこみぐあい)、
打率、歩合、
「くらべられる量=もとにする量×割合」、
もとにする量を求める問題、 と進んでいく。

こうして眺めてみると、
割合は割合で具体的な題材を使って
学習が進められていくのだけれど、
まずひとつ言えることは、
「単位量あたりの大きさは」
「人/km^2」といった表記こそ出てこないものの、
実際には、1km^2あたり○人、1mあたり○gのように、
単位をつけることが可能な数値であるのに対し、
割合は、割合になった時点で、
%か、割・分・厘か、
なんにもついていないただの数になるということ。
(つけるとしたら「倍」という言葉)

したがって、一般式に近い形で
「ことばの式」が書ける、ということになる。

そして、もうひとつ。
「単位量あたりの大きさ」は
「量と測定」領域とみなされているからか、
「比べる」ことがメインであり、
一応、それを「使う」ことも
やることはやるけれど、
(「3時間に900m^2を耕す小型トラクターは、
 8時間では何m^2耕せるでしょう」等
 学校図書/H24/5年上/p25)
あまり重きが置かれていないという印象がある。

それはどういうことかというと、
(平均としての)「わり算」がメインとなり、
(その数値を使う)「かけ算」はあまり出てこない、
ということでもある。

さらに、比べて終わりではなく、
実際に“使うもの=道具”としての
「単位量あたりの大きさ」であるところの
「速さ」は、ご丁寧に独立している。
(あくまでも私の解釈&表現ですので〜↑)
でも、領域はやっぱり「B 量と測定」。

一方、同種の2量の関係である
「割合(百分率・歩合)」は、
道具として扱われるウェイトも高いので、
割合を求めるところで終わらず、
その割合を使って、実際に、
何かの量を求める練習もすることになる。

何かの量というのは、
その割合を構成しているところの、
どちらか一方の量。

たとえば、定価1500円の商品を
20%引きで買ったときの値段。

当たりくじの割合と
当たりくじの本数が決まっているときの、
くじ全体の本数。

(実際にこのような例が教科書に出てくる)

ということになると、
「かけ算」と「もうひとつのわり算」との 関わりが深くなる。

その結果、本来の「割合」を出すための
わり算ひとつでは終われずに、
残り2つのかけ算・わり算もあわせて、
3公式というものが議論されることになる。

ちなみに、「単位あたり量」にも3公式があるのだが、
そんなこんなで教科書検討において
問題になることはあまりないと思う。
「くもわ」的なものもないと思うのだけれど、
どうなんだろう?(「はじき」はあるけれど。)

だから、[32]で積分定数さんが書いておられるように、
「2つのものを並べて、AはBの何倍か?」を、
割合の学習として捉えるとするならば、
これはそのまま「わり算」の学習になる。

しかし、すでに書いたように、教科書では
かけ算を「1あたり量=単位量あたりの大きさ」
で定義しているので、
わり算も、その逆算として定義することになり、
したがって、わり算が2つに分かれることになる。
(「1あたり量を求めるわり算/等分除」と、
 「いくつ分を求めるわり算/包含除」)

そして、倍のかけ算は脇役なので、
倍のわり算も脇役になる。

私は、「かけ算を倍で定義せよ!」と
主張したい気持ちは、もともとなかった。
いや、いまもない。
「1つ分の数×いくつ分」でけっこう、
と思っていた。

でも、それは、「1つ分の数」が
その後も大事にされているのだろう、
と思ってのことだった。

しかし、そうではないらしいことを、
二重数直線の多用あたりから感じるようになったし、
比例の式をわざわざ2つに分けて示していることから、
決定的になったように感じている。

かくして「1あたり量」は、
かけ算・わり算を小数・分数に拡張するための
体のよい道具として使われているにすぎない、
という結論が出つつある。

これが、ある考えに基づいた過渡期なのか、
単にごちゃまぜになっているだけなのかは、
よくわからない。

とにかく、いろんなことのしわ寄せが、
小学校の5・6年に出てきていることは、
確かだと思う。

これが中学校、高校に進むと、むしろラクになる。
(もちろん、まったく別の問題はあるでしょうが)
http://math.artet.net/?eid=1421613

だから、もうちょっと小学校の算数を、
整理したほうがいいよなぁ〜
という気持ちになってきていた。

しかし、教科書について考えるのは面倒だ。
教育の鍵を握るのは、
文科省でも指導要領でも教科書でもなく、
授業であり、教師であるはずだから。

でも、世の中にはいろんな教師がいて、
いろんな学校があり、いろんな自治体がある。

そういうもののあたり・はずれ(!?)に
大きく左右されない“公教育”ってなんだろう、
どうすればいいんだろう、
なんてことを考えていたきょうこのごろ。

だったのだが。

まるでそんな私に、
「帆の向きがちがうんじゃない?」
と声をかけてくれるようなニュースに
先日出会ったので、
今度はそのことについて考えたいと思っている。

ただし、「教科書検討」という宿題は
すでに自分に課してしまったので、
その宿題も一応終わらせようと思っている。

とにもかくにも、ツイッターでの私の質問に対して、
積分定数さんがまとまった意見を書いてくださったので、
それに沿いながら、私も記事を書くことができて本当によかった。

ありがとうございました!(^^)/

(積分定数さんの掲示板ははなれますが、
 もう少し話を続ける予定です。)



速さと比例、比例と倍、倍と割合

Twitterで割合についての質問を出したところ、
積分定数さん(https://twitter.com/sekibunnteisuu)が、
お返事としての記事を掲示板に書いてくださったので、
それを読んで考えたことを書いている。

「割合の三用法というジャンク」という掲示板の、
[28]〜[33]です↓
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t5/l50

[28]についてはこちら>割合の導入と割合の式
[29]についてはこちら>単元や教科の枠組みを捉えなおすこと



次は[30]の「速さ」について。

積分定数さんが、
○秒で□mだと、△秒で▽m

この○、□、△、▽のうち3つを埋めて残りを求めるというのをやる。
と書いておられるように、
速さの問題は、比例の問題の一形態といえる。
比例の対応表についてさらにつっこんで考える

たとえば、「3秒で24mだと、6秒で▽m」
の▽を求めたいとする。この場合、

 ア.6秒は3秒の2倍だから、▽mは24mの2倍で48m

と求めてもいいし、

 イ.1秒あたり24÷3=8(m)進むから、
   6秒では8×6=48(m)進む

と求めてもいい。

おそらくこの数値の組み合わせの場合、
アのほうがラクだろう。

しかし、「7秒で56mだと、11秒で▽m」
の場合はどうだろうか。

この場合、イの方法のほうが
解きやすくないだろうか?

もちろん、アを発展させて、

 ウ.7秒で56mだと、77秒で616mだから、
   11秒では、616÷7=88(m)

というふうにも解ける。

このうちのアとウは、「倍」の発想を使っている。
つまり、時間どうしの関係に、まず注目している。
これに対してイは、「1あたり量」の発想を使っている。
すなわち、道のりと時間の関係に、まず注目している。

そして、「倍」の発想でいけば、
「A:2秒で5m B:4秒で9m」どちらが速いか?
と問われたとき、秒速を求めなくても、

 エ.Aは4秒で10mだから、Aが速い
 オ.Aは45mを18秒、Bは45mを20秒で走るから、Aが速い

といった方法でも、求めることができる。

ただし、この方法では、場面によって、
いちいち計算しなければならない、
という問題が生じてしまうだろう。

比べるものが多数になったときには、
やはり秒速で比べるのが能率的だろうし、
こういう秒速のような数値、
すなわち「1あたり量」を使うと、
何かと便利なことがある。

たとえば燃費とか。↓
数値が大きいほどTNP(低・燃・費)、逆内包量のこと

そして小学校では、この「倍」の発想を
比例の定義としており、
中学校では、「1あたり量=比例定数=a」を使った
y=axという式表現を、
比例の定義としている。
[関連記事]
ある関数の加法保存性を確かめるプロセス

だから、小学校のうちは、
比例における「1あたり量」=比例定数は
軽くあつかうだけにして、
「倍」の発想で比例をとらえさせるというのは、
自然な流れかもしれない。

というわけで、
 y=きまった数 × x 
 y= x × きまった数
の2つの式をのせるような意識・レベルで
算数の教科書を作るのなら、
やっぱり比例の式は
中学校にまかせましょうよ…>指導要領

入れるなら入れるで、
もうちょっと大人っぽい発想で
つくりましょうよ・・・>教科書


それはそうとして。


「倍」の発想で比例関係をとらえさせるといえば、
この授業研究を思い出す。↓
http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/ bitstream/10191/13193/1/41_25-32.pdf

倍の計算をもとにした比例関係の理解と
二重数直線の有効性をテーマにした研究。

たとえば、p.28に
「リボンが4mで 72 円の場合と,
 5mで 72 円の場合に,
 20mの値段を求める」
という問題設定があるが、
4mと5mの公倍数である20mを使うのは、
倍の考え方に結びつけやすいするためだと思われる。

もちろん、金額を72円にしているので、
1あたり量の発想でも解けるよう、
配慮されている。

また、後半では
卵のパックを使った問題が使われているが、
なぜ1個の値段ではなくパックにしているかというと、
やはり倍の発想につなげやすくするためだろう。

「1パック○個で168円だったら、
 12個でいくらいになるか。」

の○に、p.31の段階では、
子どもたちは(教師のねらいどおり)
12の約数を入れていく。
例えば1パックが5個になると,何倍かが表せないことをグループの友達と話している様子も見られた。
という記述も見られる。

ちなみにこちらも、
1あたり量の発想でも解けるように、
168円という値段設定にしてある。

何しろ、小学校の比例の定義は
「倍」をもとにしているのだから、
4年生の段階で、
「倍」の発想をもとに、
比例概念に慣れ親しんでおくことは
自然かつ有効であるように感じられる。
それはそれでよいと思うのだ。

が。

実は子どもたちは、2年生の頃から、
「1つ分の数」として、
「1あたり量」を仕込まれている。
仕込まれようとしている。
こちらでは、「倍」が脇役。

たとえば手元にある(一世代前の)学校図書の教科書では、
「1つ分の数×いくつ分」を
かけ算の定義のように示したあと、
「1つ分を倍ともいいます」という感じで
付け加えてある。

そして小3、小4でこういう形になり、↓
http://math.artet.net/?eid=1421832
小5でこういう形になる。↓
http://math.artet.net/?eid=1421826

「倍」は、「割合」に直結する、
と私はとらえている。

たとえば、先の授業でパックを使ったのは、
なんらかの個数をひとくくりにしたいからだ。
12個が3個の4倍になるのは、
3個を1としたとき、12個が4になるということ。
それを「1パック→4パック」というふうにして
わかりやすくしているのだと思う。

そのうえで5年下(学校図書/平成24年発行)の
「割合」に目を移すと、
 シュートの成績やこみぐあいを表す数のように,もとにする量を1として,くらべられる量がいくつに当たるかを表した数を割合(ルビ:わりあい)といいます。
   割合=くらべられる量÷もとにする量
(p.86)
という記述があり、
ここに、倍をつくる「1」が出てくる。
[関連記事]
既測量を「1」とおくことは困難か?/「倍」としてのかけ算

(なお、これより前に別の式も示されているのだが、
 それについてはまたあらためて)

しかし、先の研究授業と同じ4年生において
「小数×整数」を学ぶときに、
前面に出てくるのは「1あたり量」。

平成23年発行の学校図書4年下でいえば、
「1mの重さが2.3gのはり金があります。
 このはり金4mの重さは何gでしょうか」
という問題で導入しており(p.59)、
これは「1mあたりの重さ」という、
単位量あたりの大きさを使って、
計算法則を学ばせる仕組みといえる。

5年生の「整数×小数」「小数×小数」も同様。

これを、「2.3mの針金の4倍の長さを求めましょう」
としてしまえば、いいかわるいかはおいといて、
シンプルな問題になるといえばなる。
で、そういうことにすると、結果的にここですでに、
「割合」の勉強が始まっていることになる。

  ただし、こういう形にすると、
  かけ算の順序が固定される頻度は、
  ますます増すかもしれない。

(つづく)


単元や教科の枠組みを捉えなおすこと

Twitterで割合についての質問を出したところ、
積分定数さん(https://twitter.com/sekibunnteisuu)が、
お返事としての記事を掲示板に書いてくださったので、
それを読んで考えたことを書いている。

「割合の三用法というジャンク」という掲示板の、
[28]〜[33]です↓
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t5/l50

[28]についてはこちら>割合の導入と割合の式



次は[29]について。

積分定数さんは最初の部分で、
 基本的には、具体的な易しいことから初めて、一般化抽象化していく。公式を与えて演習問題に取り組むのではなく、色々な問題をやる中で公式が自然に浮かび上がるようにしていくのが望ましい。
と書いておられるが、
まったくその通りだと思うわけで、
普通はそうなんじゃないだろうか、
たとえ教科書を使っていても。

教科書のなかでも、「まとめ」として、
式が出てきているのを見たことがある。

もし、そうなっていないとしたら、
それは教科書というより、教師に責任があると思う。

また、積分定数さんは、
このような区分を一端取り払って、簡単な数値、おはじきか指を折るかしてすぐに分かるような簡単な数値で、様々な問題を解く中で、徐々に四則演算を導入するという方法がとれないだろうか?

と思っている。
計算、四則演算のための問題ではなくて、問題を解く道具として式や計算を学ぶ。結果的に四則演算の概念が自然に身につく。

そんなイメージ。
と書いておられ、私も、
「道具」という言葉の意味するところを考慮しつつ、
そのような教育をのぞんでいるのだけれど、
積分定数さんにもお伝えしたように、
この考え方の3歩先には、
「問題解決型学習」への批判が待っている。
http://francesco-clara.cocolog-nifty.com/ blog/2010/02/post-17ba.html

折りしも今朝のニュースで、まさに、
「既存の教科の枠組みから考えなおす」教育をしている
とある小学校の授業の様子を観る機会があった。

最初は不安を覚えていた保護者も、
子どもが変わっていく様子を見て、
理解してきた、
という話も含まれていたように思う。

学力調査の話がからめられていたのが
私としては興ざめだったが、
この視点を入れないと
世間は納得してくれないのだろう。

今朝の学校がうまくいっているのは、
ひとりの先生だけががんばっているのではなく、
学年あるいは学校全体で取り組んでいることが
ミソなのではないかと思った。
(詳細はまだよくわからず)

紹介されていたのは「川から学ぶ」授業なのだが、
もちろんこれは一例にすぎず、
学びの場、学びの題材は
そこらじゅうにあふれているのだと思う。

学校の外に出なくたってかまわない。

しかし、こういう授業をいい方向にもっていくには、
やはり教師の力量と勉強は不可欠なのだろう。

ちなみに勉強とは、
教材研究や教育方法の勉強ではなく、
たったいま、そこにある、リアルな、
具体的な事柄についての勉強。
試行錯誤。

私は、2002年度の指導要領には、
こういう授業がやりやすくなる可能性が
含まれていたのではないかと思っている。

しかしいかんせん、おそらく、
現場に体制が整っていなかった。
教師に、学校に、その意識と力量がなかった。

あれから10年たち、もしかすると一部の現場では、
そのような実践が実を結び始めているのかもしれない、
ということを今朝のニュースから感じられて、
なんだかうれしかった。

それから、先日の保護者会での校長先生のお話にも、
何かほっとするものを感じた。
担任の先生にも共感できた。
(1箇所をのぞいて…→比例・反比例の話)

ここのところ教科書に向かっていたから、
暗澹たる気持ちになっていたけれど、
小学校教育、そんなに全体的に、
悲惨でもないかもしれないですよ〜!

 そんなことはない!
 その学校はいいかもしれないが、
 あなたの学校はいいかもしれないが、
 うちはそうじゃない!
 と思われる方もいるかもしれない。

 もしかするとその問題こそ、
 いまそこにある、具体的な、リアルな問題であり、
 その場所でしか対応できないことなのかもしれない。

(つづく)


割合の導入と、割合の式について

少し前にTwitterで、
割合についての質問を出したところ、
積分定数さん(https://twitter.com/sekibunnteisuu)が、
お返事としての記事を、掲示板に書いてくださった。

「割合の三用法というジャンク」という掲示板の、
[28]〜[33]です↓
http://8254.teacup.com/kakezannojunjo/bbs/t5/l50

この積分定数さんの意見に触発されて考えたことを
書いてみたいと思う。

まず、[28]について。
割合の導入部分で、シュートの成功率や、
飛行機のこみぐあいが使われているのは、
1を超えない割合を例にとりたかったからではないか、
と私は推測している。

また、数がはっきり把握できる、
というのもミソだろう。

電車のこみぐあいの場合、
どうやって「こみぐあい」を決めているのか、
そこから考えなくてはならなくなるので。
http://www.mintetsu.or.jp/knowledge/term/96.html

この段階で割合の公式を書くならば、
「くらべられる量」といった曖昧な言葉を使わなくても、
「部分÷全体=割合」でよさそうな気がする。

このことは、ʇɥƃıluooɯ ǝıʇɐsさんも書いておられた。
https://twitter.com/tsatie/status/406059198355480576

また、実際、そういう式を書いている方もいる。
http://www2.ocn.ne.jp/~atel.a/emath/rate.html

しかし、割合ってそういうことなのか?という問いが
すぐに浮上するわけで、
積分定数さんもあとで書いておられるが、
この場合、「部分」は「全体」に
含まれていなくてはならず、
先の乗車率(混雑率)から考えても、
「部分÷全体=割合」を、
最終的に一般化した式として
「教科書」に載せるというのは、
どうしても無理があるだろう。

さらに、積分定数さんは、シュートの成功率について、
5回シュートして4回入ったことと、
10回シュートして8回入ったこととの
両者で何が等しいのか、と問うておられるが、
シュートした数が違う以上、
成功した数でシュートの能力を
直接比較するわけにはいかないので、
なんらかの方法で「比較」をしたいときには、
こうふうに計算した結果をひとつの指標にする、
ということが、割合のひとつの目的だと思う。

このシュートの成功率のような割合には、
濃度や密度などと違った難しさがある。

5%の食塩水は、よく混ぜてあれば、
どこをくみ出しても5%の食塩水であり、
同じ辛さになっているけれど、
シュート成功率80%というのは、
1個のボールがゴールの前で100個に分裂し、
そのなかの80個が入るということではない。
(ボールのうちの80%がゴールに入るわけではない)

成功率10%の人よりも、
成功率90%の人のほうが、
次のシュートが入る可能性は高いが、
結果は入るか入らないかのどちらかであり、
そして、やってみないとわからないのだ。

とはいえ、野球などの成績で、
打率など「率」のつくデータが複数あるということは、
これらの割合は、選手の能力をはかる、
なんらかの指標にされているということだろう。

また、消費税率というものもある。
なぜ、これは率で与えられるのか。
その数値は、どんな根拠で決められていくのか。

そんなふうに考えていくと、「割合」って、
けっこう社会的なものだと思えてくる。

だから、身近にあふれている。

(つづく)


補足

1つ前の記事
算数の教科書の比例のページを見て思った2つのこと
において、
文字式を、「文字式の決まり」といっしょに
中1でしっかり教えればいい。
(それでは評判がわるかったから、
 返り咲きしたのかもしれませんが>*)
と書きましたが、
比例の式表現は(指導要領としては)
返り咲きだと思うのですが、
文字を使った式について返り咲きといっていいのかどうかは、
過去の教科書の歴史を確認していないので、
いったん保留にします。

もちろん、中学レベルのことは、
過去にもやってないと思います。



算数の教科書の比例のページを見て思った2つのこと

きのうの朝、娘の机の上に、1枚の紙を見つけた。
ノートの1ページ分。

・・・これは何?

まず、なぜノートの1ページだけ
ここに放置されているのか。

そして・・・

・・・この内容、どういうこと?

その後、娘に質問したり
自分で教科書やドリルを確かめたりして
これは授業のノートの1ページであり、
そして、「破れちゃった」らしいとわかった。

「破れちゃった」というこの状況は、
娘の場合、特に驚くことでもない。
とりあえずそこはおいておこう。

しかし、たとえ娘にその意図は皆無だとしても、
その1枚の紙は、まるで私への手紙のように、
何かのメッセージのように感じられた。

これです↓
(6年生なのに字が汚くて恥ずかしいけど^^;)



[5]の小問1が採点されていないのは、
採点しわすれたということらしい。

そして小問2に対して○がなく、
赤で別の式が書き加えられているのは、
おそらく黒板を写してこうなったのだと思われる。

なお、先に書いておくと、
いまは「 y= 0.12 × x 」という式も
ノートに書いてあるので、
yが左辺か右辺かというのは
わきにおいておこうと思う。

そして私は、教科書を確認した。
(学校図書/平成25年発行/小6下)

そうしたところ、p.45に、
「正三角形の1辺の長さxcmと周りの長さycm」
「正方形の1辺の長さxcmと周りの長さycm」
についての問題が載っていた。

(問題番号は一致していないが、内容は同じ)

そしてその間に、次のような文章が書いてある。

yがxに比例するとき,次のような式で表すこともあります。          yx × きまった数
実は以前、これと同じページを
別のところで見て、
びっくりしたことがあった。
いまはびっくりしたことがある。
その左側には、こんなページがある。
(画像が薄くてスミマセン)
(同上/p.44)

このページには、以前、
数学教育ブログの次の記事内のリンク先のページで
すでに遭遇してはいる↓
http://math.artet.net/?eid=1421961

先生が右辺にyをもってきているところをみると、
指導書どおりの式を黒板に書かない先生かもしれず、
そういう意味ではわが道をいっておられるのかもしれない。

さて、いろいろ考えたいこと、書きたいことはあるけれど、
ここはひとつシンプルに、
今回の事例から私が思ったことを2つにまとめようと思う。

まず、式を併記するのは、
逆にやめたほうがいいということ。

長方形の面積については、
(たて)×(横)または(横)×(たて)と
併記することになったときいたことがあるけれど、
たとえば、かけ算の式は、
(1つ分の数)×(いくつ分)と書いてもいいし、
(いくつ分)×(1つ分の数)と書いてもいいですと書くと、
ますます「かけ算の式の順序」に意味づけされてしまう、
という状況が起こってしまうように思うのだ。

実際、比例の場合、併記することで、
ますます式の順序の「意味」を固定させている、
ということが起こってはいないのだろうか?

y= きまった数 × x 」で“統一”しておけば、

ア.1mが3gの針金xm分の重さyg
イ.1辺がxcmの正三角形のまわりの長さycm
ウ.底辺が6cm、高さがxcmの三角形の面積ycm^2

のどれも y=3 × x と表せるけれど、
y=きまった数 × x 」でも
yx × きまった数」でもいいと書くと、
アは y=3 × x、イは yx × 3 と
「書かなきゃいけない」となってしまうのではなかろうか。
そして、ウはどうすんのよ、という話になる。

そうすると今度は、
y = きまった数 × x」で“統一”すると、
イを yx × 3 と書いてバツにされるじゃないか!
という意見が出るだろうか。

実際、バツにされる場合があるかもしれない。
(実例をどこかで見かけてリンクした記憶があるのだが、
 いまは見つけられず…)
[追記]ツイッターで見つけてもらいました↓
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1273260777

でも、それを「併記」で乗り切るのは、
逆に問題を深刻にするのではなかろうか、
とこのたび思った。

わざわざ併記することにより、
別物だという印象を強くしてしまうというか。

私は以前、「かけ算の順序にこだわっても、
比例でくつがえるから大丈夫なんじゃな〜い?」
と楽観的に考えていた。

まさかこんな併記で乗り切っているなんて、
1年前は知りませんでした(反省)。

しかし、教科書・指導書レベルで
かけ算の順序にこだわり続けると、
結局、小6の比例で、
比例の式を併記しなくてはいけなくなるのだろう。



比例は難しい。

それは確かだ。

すべての子どもが比例を学ぶ意味とは何か、
ということも難しい。

もしかすると、あるひとつの比例観のもとに、
教材を組み立てた場合、
それは1つの「思想」に
なってしまうかもしれない。

でも、「思想」になっていてくれたら、
それはそれでアリなんじゃなかろうか。
「比例ってそうじゃない」と言えるし、
議論もできる。

でも、現行の算数の教科書は、
何がやりたいのかよくわからない。

私は「系統学習」に疑問をもっているけれど、
それを現場から排除するのが理想論だという自覚もある。

公教育において、カリキュラムというのは
やはり必要だろうし、
指導要領も教科書も必要なのだろう。

ならばせめて、系統立っていてほしい。
ひとつのスジを見せてほしい。

なんというのか、
スジの通し方が違ってないでしょうか・・・

とにもかくにも、導関数の表現ならいざ知らず、
算数で出てくる言葉を含んだ式表現は、
印刷物においては1通りでかまわないと思う。

併記することで、かけ算の順序問題は解決できない。

むしろ、強化してしまう。



そしてもうひとつ。

ゆとり教育がよろしくなかったとしましょう。
学習の内容が簡単になりすぎていてよろしくないので、
いろいろ少し前倒ししていくという、
発想があったとしましょう。

そうだとしたら、
この学年でこれくらいはできるはず、
という考え方があるわけだから、
学習内容のみならず、
学習者の認識過程の捉え方も変えていかないと
意味がないのではなかろうか。

「小学生にそれは難しい」と思うなら、
やらなきゃいい。

文字式を、「文字式の決まり」といっしょに
中1でしっかり教えればいい。
(それでは評判がわるかったから、
 返り咲きしたのかもしれませんが>)>補足

なんなら、小学校で比例をやめてもいい。
中学校でやればいい。

私の場合、分数のかけ算とわり算も
やめてもいいんじゃないかと
半ば本気で思ったことがある。>

小学校って、行事もあるし、
いろいろやることあるし、
先生も忙しいし、
大変だと思うのだけど、
ネットでわかる範囲で、
算数の授業例や教材をみていると、
「どうしてこんなことに
 時間をかけるのだろう…」
と首を傾げてしまうことがある。

そんな余裕があるのであれば、
教科書をはなれて、
「きょうは一切教えない」という算数の時間を作って、
子どもたちに、いろいろ話をきいてみたらどうだろうか。

算数について、考えたこと、感じたこと、わからないこと、
疑問に思ったこと、不思議に思ったこと、
知りたいこと、調べたいこと、
みんなにきいてみたいこと、話し合ってみたいこと。

そっちのほうが楽しくて、結果的に能率的で、
そして先生も得をするような気がする。

もちろん、この記事で示したのは
教科書の部分的な2ページであり、
その前後があるわけだから、
この2ページだけでどうこう論ずるわけには
いかないだろう。

だとしても、十分、刺激的な2ページ…というか、
p.45だったし、
それに対応する娘のノートが「破れちゃって」、
私の目に触れたというのも、
なんだか因果だなぁ…と思うことであった。



そうだ!思い出したので余談を。
娘が1〜2歳の頃、床の上に、
雑誌の半ページが破れたものが
落ちていたことがあった。

そこにあった文字を読んで、
笑うよりもまえに、ドキッとしてしまった私。

色はピンクだったか、大きなサイズのゴシック体で、
次のような内容のことが書いてあったのです。

  うちの子、育てにくいと
  思ったことはありませんか?

(^^;


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