娘と分数を勉強しながら発見したこと

最近、おふろタイムやちょっとした空き時間の中で、
娘といっしょに分数の勉強をしている。

学校では、
分母が同じ分数のひき算のうち、
帯分数の整数部分から1繰り下げてくるものを
教わっている段階。
そういうのは、宿題でやる。

娘と2人でやるのは、まだ習っていないもの。

たとえば分母がちがう分数どうしのたし算とか、
簡単な小数と分数のたし算とか。

紙なしで、言葉だけで、
すなわち頭だけでやることも多い。

そうしていたら、いろいろと発見があって、面白い。

まずは、メタなところで2つ発見があった。

1つは、やっぱり、学校で教わる前に教えると、
面白いなぁということ。

予習というより、どう考えるのかみてみたくて、
ちょっと先のお題を出しているのだが、
(私にとっては)新鮮な発想を出してくることしばしば。

もう1つ発見したのは、
身近に紙がなかったり、お風呂でやるときに、
仕方なく紙なしでやることがあるのだけれど、
こういうやりかたは意外とわるくないな、ということ。

ちゃんと「教える」のであれば、紙とえんぴつは必須。
でも、紙とえんぴつがあると、教えようとしてしまうのだ。
説明してしまいそうになる。

でも、紙とえんぴつがないと、私が説明をあきらめるので、
ちょっと遊んでみる感じになる。

つまり、紙とえんぴつがないほうが、
“わかりにくくて”かえって面白い展開になることが
あるような気がするのだ。

たまには、“わかりにくい”ってことも、
いいのかもしれないねぇ。

いや、もしかしたら、だからこそ、
“わかる”ってこともあるのかもしれない。
紙とえんぴつがないことは、必ずしも、
わかりくいということではないのかもしれない。

さらには、内容に関して次のような発見があった。

これまで分母が異なる分数のたし算を、
「通訳」のメタファーを使ってやっていたのだが、
ちょっと小数もやってみようと思い、

 0.5 + 1/2
 0.5 + 1/3
 0.5 + 1/4

などにチャレンジする中で、

 0.5+1/4 



 1/2 + 1/4

に変えたあとの計算で、
娘が、「1/2」を「50とおいてみる」
という発想を出してきたのだ。

てっきり、1/2=半分=100の半分=50
という発想だと思ったのだが、
かといって、1/4=1/2の半分=25
とはならない。

ほんでもって、あれこれ苦戦する娘を見ながら、
ハっとしたことがある。

分数の計算は、たとえそれがたし算だとしても、

  [何か]×(1/2)+[何か]×(1/4)

と考えようとしているのではないか、ということ。

つまり、1/2 + 1/4 とはすなわち、
[何か]×(1/2 + 1/4) のことなのではないか。

そこにはおのずとかけ算が入っている。
いや“かけ算”と言い切ってしまうと少し違うのかもしれない。
“かけ算”の原型というべきようなものが。

なぜ、娘は、1/2を、50とおこうとしたのか。

これまで分母を変えてきたのに、
なぜ、分数全体を、別の整数におこうとしたのだろう?

私は、「割合分数論争」のことを思い出した。
http://math.artet.net/?eid=180916

関係(割合)としての分数か、
1つの量としての分数か、という論争なのだが、
教科書では、基本的に「量分数」で分数を学んでいると思う。
すわなち、1mの1/3や、1Lの1/3で、
1/3を学んでいると思う。

家庭で、まだ分数を知らない子どもに、
「ねえ、おかあさん(おとうさん)、3分の1って何?」
ときかれたら、ほぼ確実に、おかあさんやおとうさんは、
「全体の数または量」を与えると思う。
しかし、それが1mや1Lではない場合も
少なくないのではなかろうか。
あるいは、いろいろな異なる全体の数(量)で例をあげて、
3分の1を伝えようとするかもしれない。

全体の数を1以外の数値にして教えることもあるだろうし、
(「あめが18個あったとき、3人兄弟で分けるとしたら、
1人分の取り分は6個になるでしょ?
つまり、18個の3分の1は6個ってことよ」等)
全体の量を1として教えることもあるだろう。
(ケーキなど円形のものを使ったり、棒状のものを使ったり)

親御さんが子どもに分数を教えるときに、
どういうふうに教えるのか、ということを、
是非ウォッチングしてみたい。

いずれにしろそれは、[全体の数または量]×「割合」
としての分数ではなかろうか。

そもそもが、1/3mは1/3そのものではないし、
1/3Lは1/3そのものではない。

でも、新しい概念が出てきたとき、
たとえば分数そのものを学び始めるときや、
分数のたし算、ひき算などを初めて学ぶときには、
量分数で考えたうえで、その後は単位をはずして、
完全に数の世界で計算練習をさせるのではないだろうか。

あらためて考えると、量分数を徹底させるのであれば、
1/2(m)+1/3(m)や、
1/2(L)+1/3(L)でずっと考えていくのが、
筋なのかもしれない。

しかしそうなると、
娘は1/2を50とおけなくなるだろう。

1/2mはどこまでいっても1/2mなのだから。
あるいは、1/2m=50ナントカ、
という、新しい単位を考えて換算するか。


というところまでが、現在の考察。


また何かわかったら、報告しまーす。

PTA活動にやや煮詰まったときの、矛盾を承知の支えのフレーズ

ゲンキンなもので、冬休みに入ったとたんに、
ぱったりと書かなくなったPTAの話題。

冬休みの間くらい、忘れていたい・・・
という心境だったのだろう。

つくづく、『PTA再活用論』を書いた
川端裕人さんはえらいと思う。

私はたぶん、PTAと縁がなくなったら、
PTAのことをすぐに忘れると思う。

以前は、そうじゃなかった。
幼稚園で役員を務めてしばらくの間は、
もう少しPTA活動に理解があったと思う。

いや、いまだってがんばってるよ〜

でも、毎年だとさすがに疲れてくるのだ。

娘の小学校は一家庭一役なので、
来年も必ず何かの仕事をすることになる。

しかも、娘の小学校の場合、
基本は、いちばん下の子どもの学年のクラスで
係につくので、学年が上がるにつれて、
係につける人の数が減る。

いろいろと調整はされるのだけれど、
ひとりっ子のわが家の場合、学年があがれば、
そこそこ出番のある係につく可能性は高い。
(逆にいえば、子どもが1人なので、
濃く短いPTA生活になる。)

でもまあ、委員長を務めた今年に比べれば
どの係についても、
出番は今年よりは少なくなるだろう。

で。

3学期のチームの活動に入っているのだが、
1学期、2学期のチームではなかった問題が
すこぉし生じており、
どうしたものかと悩むきょうこのごろ。

いや、悩むほどのことでもないのだが。

ふだん家庭にいて、
仕事も1人でやっている私にとって、
チームで動いていく、動いてもらうというのは、
なかなかむずかしいものがある。

みんないそがしいよね。

まずはなんってったって子育てがあるのだし。
そして、仕事があったり、介護があったり。

川端さんがおっしゃっているように、
PTAって基本的に、
サークル化したほうがいいような気がする。

過去のPTA活動で思ったのだけれど、
自分たちで必要があると感じてのプラスアルファって、
ぜんぜん苦痛じゃない、むしろ楽しい。

でも、それが「引継ぎ事項」になると、
次年度以降の「仕事(≒負担)」になる可能性が
高くなるような気がする。

だから、毎年、変えていっていいと思うんだよね。
というか、実際、その年々で変えられているのだけれど。

ほんでもって、きのう、
PTA活動とは全然関係ないことをしているときに、
「ああ、あした、あれをやらなきゃなぁ〜」と、
うすーく、ユーウツになっているときに、
ふと、ある言葉を思い出したのだ。

「楽しんで、やる」という言葉。

PTA活動は、基本、楽しめないと、やってられない。
もちろん、「必要性」もあるのだが、
基本ボランティアなのだから、
最初から最後まで「やらされる」感覚でいると、
不快なこと、このうえない。
だから、やるとなったら気持ちを切り替えないと。

へんな話ではある。

強制加入で、
保護者会のおも〜い空気の中、引き受けた係である。
楽しむために、自ら進んで引き受けたわけじゃない。

だから、人に「楽しんでください」とは言えない。

でも、自分で「楽しもう」と思うことはできる。

あんまり自己暗示かけすぎるのも問題だと思うし、
(その問題はけっこう大きいものかもしれないが)
ときどきはそう自己暗示をかけて、
力みや緊張をとっていかないと。
どこかで、「なんぼのもんじゃい」と思っておかないと。

お風呂のなかでの分数談義

娘 「自分が生まれたときのことを覚えている人って、
   いるのかなぁ」

私 「ああ、いるらしいよ。ママの知り合いの奥さんがそうだって」

娘 「全体の4分の1くらいいるって、このあいだテレビで言ってた」

私 「そんなにいるの!?」

娘 「ちょっと多すぎたかな・・・ 5分の1だったかな」

私 「このあいだ勉強しといてよかったね」

娘 「なに?」

私 「分数は分母が大きくなると小さくなること。
   5分の1より小さい分数は?」

娘 「6分の1」

私 「6分の1より小さい分数は?」

娘 「7分の1」

私 「7分の1よりちょっと大きい分数は?」

娘 「・・・・・・・・・・・・7分の3」

     

7分の2ではないのがオシャレです。

娘が推測する、おとなの大変さ

娘いわく、

  「おとなって大変だよねぇ〜

   確定申告とかあるし。

   年金のこととか。

   あと、税金とか。

   お金の管理が大変だよねぇ〜

   就職もしなくちゃいいけないし。

   面接もしなくちゃいけないし。」


で。

お金の管理が大変だという話から、
2年半ぶりに判明した事実がある。
娘にお願い(2) (2009年6月6日)
 
娘「銀行の暗証番号も覚えられないといけないし。
  だからあのとき○○ちゃん、
  声に出していったんだよ、暗証番号。
  受け継ぐと思って。」

銀行のカードの暗証番号は、
代々受け継がれるものだと思っていたらしい。


たまには役に立つ交換法則

TETRA'S MATH のほうで、
「小4の娘は交換法則・結合法則・分配法則を
用語ナシでならっている」と書いていたけれど、
用語を習っているはずがない、見たことがない、
という思いだけで書いたので、ちょっと不安になり、
娘にきいてみたら、知らない様子。
じゃあ、だいじょうぶかな。

娘「でも、(授業を)きいていなかっただけかも」

・・・ (−−;

そういえば教科書を確認すればいいだけじゃないか。

・・・うん、出てないみたい。

娘いわく、「法則ってほどのものじゃないと思うんだけど・・・」

(^^;

娘「あ、でも、便利なときがあるよ。
  九九はリズムで覚えてるから、
  反対にすると思い出せるときがあるの。
  ハチロクシジュウハチ は ハチロクシジュウニ
  にしちゃうときがあるんだけど、
  ロクハ なら シジュウハチ ってわかる」

なるほど。

ハチロク と ロクハ は
8×6 と 6×8 とは別の意味で、
ちがうものなんだね。


分数のたし算と、呉越同舟

学校で、分数の授業が始まった。
いまは、仮分数と帯分数をやっているらしい。
(5/4  ←→ 1と1/4)

で、きょう外出中にひまな時間があったので、
約分と、分数のたし算をやってみた。

約分については、図をかきながら。

分数のたし算は、駅のホームと電車内だったので、
紙もえんぴつもなしで、会話のみ。

まずは、1/5 + 2/5 など、
分母が同じ分数でウォーミングアップ。

そしていよいよ、「1/2 + 1/3」にチャレンジ。

私「どうするよ、これ」
娘「たせないじゃ〜ん」
私「大変だ、世界の大問題だ」
娘「ママ、分数の問題を解決する
 ヒロインになってよ〜〜」

私「1/2 と 1/3 は、
  違う世界に住んでいるだよねぇ」

娘「ってことは、呉越同舟ってこと?」

私「まあ、そんな感じだねぇ。
  フランス語を知らない日本人と、
  日本語を知らないフランス人みたいなものかな。
  どうやってコミュニケーションとるよ?」

娘「じゃあ、通訳がいればいいんだ」

私「そうそう。ちなみにお互い英語ならしゃべれるらしいよ」

で、約分の勉強のときに、
その反対の作業もやっていたので、
分母をそろえようということにする。

娘「じゃあ、1にしよう!」

私「おお。でも、たぶん、
  1/2 は 1分の1/2で
  1/3 は 1分の1/3だと思うのよねぇ〜」

娘「どうすんのー」

で、娘は分母を30にすることを思いついたらしく、
1/2=15/30
1/3=10/30
から、25/30を導き出し、
あとはさっきやった約分をして、5/6にたどりつく。

私「できたね〜〜 
  これだと呉越同舟から何になるんだろう?
  付和雷同? ちがうちがう」

娘「意気投合じゃない?」

私「そうだそうだ!」

かくして、本日の結論。

分母のちがう分数のたし算は、
「呉越同舟から意気投合へ」。



子育てしてると、
時間がたつのが早いのか遅いのか
よくわからなくなるんだけれど、
(1週間は長いが、1年は早いとか)
ふりかえってみると、
やっぱりどんどん成長していくと感じる。

だから、もっと、日々のいろいろなこと、
いまの娘の発想とか言葉を、
記録していかなくちゃ、いきたいな、
と思うきょうこのごろ。

とりあえず、小数と分数を学ぶことは、
わるい気はしないらしい。

世界が広がるものね(^^)

わり算の感動したところ

2けたでわるわり算とは決別した娘だが
(そうは言っても付き合いはあるらしく、
完全に縁を切るわけにもいかないもよう)
小数のわり算には感動したらしい。

たとえば、1÷8

娘いわく
「絶対無理だろ、と思うような
小さい数をわるわり算ができると
感動する」
とのこと。

“にごじゅう”以来の
ええ話や。


電池シェア

ご無沙汰してますぴまりんです
もうすぐ冬休み終わっちゃって寂しいです  
と、いっても今年はいつもより長いんですけどね(連休の関係です)
前にすっごくヒマだった時、引き出しから、おもちゃを引っ張り出してきたのですがどれもこれも電池切れ 
年賀状を出すついでにお母さんに買ってきてもらいました
なんとボタン電池がたりませんでした
でもそんなの想定内
そうおもちゃ同士でシェアし合えばいいのです
だけど、やり始めて思いました。
結構めんどくさい
8割がペンなどをつっこんで開ける(電池の入っている所を)方式だからいいけど
ドライバー方式は、かなりめんどくさい(主観)
なんてったって、時間かかるし(どっちっかってたら(主観))
だから、しまう時はほとんどフタをしないまま袋にほうりこんでいます(どっちの方式も)
1個だけ開けていないボタン電池がありますが、じつはもったいなくてあけていません。
でも、このままケチっていると電池切れるしなぁ〜

そして
 
みなさん、この年が幸福な年になりますよう心からお祈り申し上げます
  
                                                  ぴまりん

お詫びとご連絡:メールの返信について

先ほどメールボックスの整理をしていたら、
別のブログを読んでくださった方からのメールが、
何かの手違いで、
英文のみのスパムメール専用のフォルダに入っていたことが、
判明しました。(>_<)
(もう1件、別のメールも入っていました)

実は、昨年11月くらいから、
日本語のスパムメールもすごくて(うちだけじゃない?)
相手が一定していないので、
こちらはワード指定で地道に別フォルダに送っていました。
(きょうだけですでに100件以上入っています)

もしかすると、見落としているメールや、
どこか別のフォルダに送られてしまったメールが
ほかにもあるかもしれません。

誠に申し訳ありませんが、
メールを送ったのに一度も返信がない場合は、
もう一度送っていただけましたら幸いです。
(メールをいただくこと自体ほとんどないのですが、
必ず一度は返信しています)

新年そうそう、こんなお詫びとご連絡で申し訳ありません。



  迷惑メール対策、考えなくちゃな・・・

  どうしようかな・・・
 

川端裕人『PTA再活用論』からの抜粋(2)/PTAの任意加入、自動加入

川端裕人『PTA再活用論』を読んでいる。

序章ではこのあと、著者のブログに寄せられた
PTAのイメージ(未経験者、経験者別)が示された後、
-----著者は、経験者たちのネガティブなニュアンス満載の
コメントに衝撃を受けたとのこと-----
PTAの自動加入(強制加入)の話に入っていく。

ちなみに、現在、娘が通っている小学校も、
入学と同時に自動的にPTAに加入することになっている。
多くのPTAがそんなふうに自動加入になっているらしい。
言い換えると、強制加入ということだ。

著者いわく

・・・、たぶんPTAを知らない人には驚かれる。しかし、知っていて馴染んでいる人には、なぜそれが問題なのか分からない。


このことに気づいたとき、
川端さんははっきりと「おかしい」と感じたし、
自分が生きてきた社会の価値観を
根底からひっくり返されるような衝撃を受けたそう。

考えてもみてほしい。この世の中で、なにかの団体に本人の意志とは関係なく所属させられることがどれだけあるだろうか。


で、著者は思いあまって教育委員会事務局に
質問したりもしたようなのだが、
原則としてPTAは任意加入なのだとか。
実際、任意であることを周知したうえでの
入会システムをきちんと持っているPTAも
実在するのだそう。

私自身は、「任意加入」に賛成か?
ときかれた場合、素直にYESとは言えず、
ちょっと考えこんでしまう。

任意加入で一度やってみたらいいのではないか?
という気持ちはすごくある。
でも、それを自分が実行しようという気力はない。
ものすごーーーく大変なことだと思うので。
それくらいならば、毎年、なんとか係をこなして、
子どもが卒業するのを待つほうが、まだラクだ、
という思いがある。情けないけれど、正直なところ。

川端さんは、

 PTAで苦労して活動してきた人ほど、任意加入に抵抗感があり、あまり熱心ではない人ほど、すんなり受け入れてくれやすい。


と書いておられるが、その抵抗感はさまざまだとしても、
すんなり受け入れてくれる人には、
「保護者の意志の確認、とりまとめ、
 会員数に応じての組織替え等をだれがするのか?」
という発想があまりないのではないかと思うのだ。

たとえば、PTAを任意加入にするかどうかのアンケートをとり、
「賛成」の人は全員、
「PTA任意加入推進のための臨時委員会」の委員となり、
そのなかからくじ引きで代表を決めて、動いてもらいます、
ということになれば、
気持ちとしてはYESでも回答としてはNOに転じる、
ということがあり得るのではなかろうか? どうだろうか?
まあ、この時点でアンケートをとっている人がいるわけであり、
だれかが動いてくれているわけだけれど。
これは、PTA活動をするにつれて、見えてくるものと、
見えなくなっていくものがあると思う
にもつながる話だと思う。

PTA活動は(役員レベルでは)、
少なくとも今年のいまごろの時期には、
もう来年のことが考えられていると思う。(役員決めなど)
新年度に入ってから準備していたのでは
まにあわない委員会もある。
それらをどう運んでいくのか。

とにもかくにも、学校PTAって思っているより大きな組織で、
地域との関わりも深く、他団体との関わりも深く、
歴史も長いので、一筋縄ではいかない部分があり、
必須な会員数というのもあると思うので、
それをどう満たさせるのか、というのは
大仕事になりそうな気がする。

それらの組織や制度と縁を切る、という道もあるだろう。
しかし、その決断を、だれがどういう方法でくだすのか?

また、川端裕人さんは、任意加入に対する代表的な反論に
「PTAは会員のためではなく、
子どものためにあるのだから潰すわけにはいかない」
というものがあり、「部分的に正しいと思う」と書いている。
なぜって「子どものために」という目的がなければ、
このような団体はありえないから、と。

 とはいえ、その「子どものため」の活動は、必ずPTAで行わなければならないのだろうか。PTAが肌に合わない人が、学校やほかの保護者とかかわるやり方は別にあってよいし、さらには、もしも自分の子の面倒をみるだけで精一杯なら、とりあえず足下を固めることのほうがずっと大事だ。


この「とりあえず足下を固めることのほうがずっと大事だ」
に、いたく共感した。
というか、代弁してもらってありがたいと感じた。

がしかし、以前も書いたように、
PTA活動は「子どものために」する部分はあっても、
それは「わが子のため(だけ)に」するものではない。

その小学校に通う子ども“たち”のために、
保護者“たち”が行う活動なのだ。

(つづく)



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